価値観は違うと考えるのが一番ストレスを溜めない。

Amazonの配達員の方が来たので玄関を開けたら、荷物をグイっと渡して無言で去っていきました。

いや、無言じゃなかったのかも。「...ッス」みたいな空気の摩擦音が若干したかもしれない。「アザッス」の最後なのか?


その時一瞬ね、イラっとしちゃったわけですよ。「なんだよ、何か言えよー」って。


イライラした時は数分かけて思考を落ち着かせるのが大切。

で、しばらくして思ったんですよ。最近TwitterでもAmazon配達員が大怪我しても休めず血まみれで配達してたなんて記事を見ましたし、あの配達員も、自分では言ったつもりだったのかもしれないとか、めちゃくちゃ疲れていたのかもしれないとか、そもそも日本人じゃなかったのかもしれないとか(マスクで顔が全然わからない)。


そしてもうひとつ考えました。「何か言えよ」というのは自分の価値観でしかないこと。相手に言葉が伝わるように心がけるとか、挨拶はするもの、というのは僕が育ってきた環境で学んだことです。この教育は、多分とても多くの人が受けてきたと思うのですが、そこに「一般的」とか「多くの人が」と、人数で押し切ってしまう思考は日本人が特に使ってしまう伝家の宝刀であり、良くありません。個々で価値観は違う、と考えるべきです。

日本人は礼儀正しいと言われますが、言い換えるなら「礼儀正しくしなさいと教育を受けてきた」とも言えます。でも、世代や生きてきた環境によってそれらは変わるわけで、すべての日本人が同じ礼儀正しさを持ち合わせているわけではありません。


「アザッス」

「ありがとうございますだろ!」


この「ありがとうございますだろ!」の発想が良くない。だってちゃんと感謝の意を述べてるじゃないですか。個人の価値観を押し付けてます。


コンビニって、最近外国人店員が多いですよね。「パスモで支払います」って言っても絶対に「はい」とか返事してくれない人が何人もいます。そのたびに「何か言えよー」って思っていたのですが、中国かな?どこかの国の人特定で返事しないので、調べてみたんです。そうしたら、その国は相槌という文化がないのだとわかりました。なるほどそれじゃ仕方がないよね。

相槌打たないのは決して悪意ではなく、そうした環境で育ってきたなら当然です。それより、異国の地でコンビニというめちゃくちゃ難易度高い仕事ができていて尊敬します。


Twitterでも、よく主張の違う人同士が揉めてますけど、お互いの価値観を主張しているので一向に解決する様子はありません。


イラっとしたり、文句を言いたくなったりした時に「それは自分の価値観を押し付けていないか?」と考えなければならないと思いました。自分の価値観が正しいと思って主張を曲げないと喧嘩や対立が起こってしまいます。どらえもんも言ってます。

それに、イライラしたり、自分の価値観を主張するのって体力も精神力も結構使います。それが無駄な労力だと思ったほうが良いし、それだったら楽しいことを考えたほうが心身ともに健康でいられます。難しいんだけどね。


ただし、これらは悪意がないことと、相手に害を及ぼす可能性がない場合に限ります。ルールや法律を守らない人、悪意を持って攻撃してくる人はこの限りではないので、その人から離れるか然るべき対応を取る必要があります。



荻原明(おぎわらあきら)





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