本当に必要な情報

6月18日朝の大阪の地震は驚きました。


久しぶりに緊急地震速報の音がテレビから聴こえてきて、大阪が震度6弱との情報が。

その前の日には群馬で珍しく大きな地震がありましたね。千葉県の外房でも細かい地震が何度も起こっています。


地震は本当にいつどこでも起きるし、規模もその時になってみないとまったくわからない。


心がけてはいても、対策をとることには限界があります。



僕は大阪の地震が発生したときPCの前にいたのですが(東京在住)、ブラウザのTwitterトレンドがあっという間にすべて地震関連になりました。


Twitterの更新速度が異常だったのでついていけませんでしたが、ざっと見た感じで目に入ったのは、関西方面を心配する一般の方のツイートの多さ。


「大阪の人大丈夫ですか?」

「心配です。」


わかります。心配ですよね。実家や親戚、友人、もしくはご本人が発生現場付近にいる場合も相当多いでしょう。


僕は関西に直接面識のある方がほとんどいないのですが、やはりそれでも火事は起きていないか、怪我人は出ていないか、電車はどうなっているのか、街中は混乱していないか、いろいろ考えてしまいます。


でも、だからこそ僕は一見気遣いと感じられる言葉だけを投げかけるツイートは一切しません。


なぜならこれらの言葉は、発生直後にはまったく有益でないどころか、邪魔をしてしまうからです。



いろいろな考えがあるでしょうし、ご批判もあるのは承知で書きます。



2011年の東日本大震災のときに僕は音楽教室にいまして、わけもわからず教室にいた先生方と当時住んでいた板橋区の家に徒歩で向かいました。そこで見えてきたのは大勢の帰宅困難者と、まったく車が動かなくなった東京の道路。


みなさんそれぞれ思うことがあるのはとてもわかります。家族が心配、親戚が心配、友人が心配。自分の家や家財道具が心配。でも、そうした個人的な判断による行動の集合体は、そのときに最も必要なものを必要なところへ届ける機能を失わせてしまうのです。


何よりもあのとき、緊急車両がまったく通れなかった。


もしも多くの人が会社や学校にとどまり、不要不急の移動を控えていれば、本当に必要なものを必要なところへ届けることができたかもしれない。正しい対策を選択し、正しい情報を把握し、完治できる怪我だったかもしれない。助かる命があったのかもしれない。


善意や強い意志によって行動を起こしたそれが、かえってアダとなる可能性を考えておきたいのです。


緊急時に必要なことは、善意的行動ではなく正しい情報とその情報を収集する能力や媒体。そして最善の判断力。


緊急時のSNSはいつもとは違った力を発揮します。マスコミや政府などもそれを使って本当に正しい情報を届けようとしているのですが、タイムラインやトレンドでは、「大阪の方大丈夫ですか?」のツイートが乱立している。


気持ちはとてもわかります。しかし、今はそれは必要ない。大丈夫かダイジョバナイかの判断は現場の人たちが一番わかっている。遠く離れた地からかける声としての効果はほぼ皆無だし、それによって現場での判断力、機動力を阻害している可能性があることを理解しておきたい。


そしてやはり今回も起こった悪質な「デマ情報」、やれ野球場のドームが割れただ動物が逃げただ、在日韓国人が犯罪を犯すだとか、それに煽られて反論して炎上して、それら全部が邪魔なのです。



だから僕はSNSでは一切地震関連の情報に触れませんでした。



いつも通りの生活を心がけ、自分がすべきことを予定通り遂行する(自粛という行為がいかに意味がなく、マイナスの影響しかもたらさないかはすでに経験しているので)。ネット上であっても緊急車両が通れる場所を必ずあけておく。とにかく邪魔しない。


でも地震のことは心配なので情報は手に入れ、大惨事にならないことを祈っていました。



ガスや水道が使えない地域もあるそうですね。不自由な生活が続くかもしれませんが、一日も早い復旧を願っています。








荻原明(おぎわらあきら)




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