謙遜表現

謙遜の表現があまり好きではありません。


日本人の美意識なのかもしれませんが、どうも表向きだけに感じてしまい、心の中ではしっかり自信持っているように感じる瞬間が多くて好きになれません。

「いえ、わたしなんてまだまだですぅ...」


という表の顔に対して、

こんな顔してんのかなあと思い浮かべてしまうのです。


...俺がひねくれてんのかな。






でもね、例えば、


「拙著」


という言葉。すごい嫌い。でもSNSなどでとてもよく目にします。


僕も「まるごとトランペットの本」とか「ウォームアップ本」を出版して、宣伝などしますが、拙著は一度も使ったことがありません。


だって、頑張って書いたもん。


拙著なんて言ったら本がかわいそう。


もちろん、日々精進しておりますので、当時頑張って書いたものが今になるともっと良く書けたなあと思うことはたくさんあります。でも頑張って書いた。これは絶対そう。手抜きなんてしてない。多くの人に読んでもらいたい。自信はある。




あと「自戒を込めて」という表現。これも好きじゃない。


とても良いことを言っていても、最後にこの言葉が入ると「オチ」のようにズコーとなって、「おまえは違うんかーい!」ってツッコミ入れたくなってしまう。


良い内容は良い内容で、すでに投稿した瞬間から言葉だけが飛び立ってネット上を巡るわけですから、その書いた人がどうだとか、あまり関係ないと思うのです。「おまえはどうなんだよ!」なんて言う人のほうが相手にしなくないとみんなが思うはず。

僕が書いたブログだって、ほとんどの人は僕個人の人格とか人間性とか顔とか体格なんてどうでもよくて、ただトランペットに関する情報が参考になるから見てくださっているはずです。


「おまえそんな偉そうなこと言っておいて、ベルリンフィルの首席になってねーじゃねーか!」とかもし言われても困るし、そんなこと言う人のほうが人格疑われる。


僕は自分の発言に自信があるし、自分でも実践しています。もちろん過去はできなかったことがたくさんあるし、今でも確実に100%なんでもできるはずもありません。そういった点では発展途中である自覚もありますが、でもだからといってここまでその発信の最後に


「自戒を込めて」


と付け足すと、途端にその言葉の力が弱くなる。


信憑性が低くなる。



...ひねくれてるのかなあ。

でも最近のSNSやネットをフル稼働させて活躍している人たちって、そうした謙遜表現って全然使いませんよね。自信の強さを感じますし、清々しく好感が持てます。

だからその人の作った本や商品も素晴らしいものに見える。


もしこの人たちが「拙著」と言ったら、読む価値が下がります。個人的には。




まあでも謙遜表現を一切使っていないわけではなく、日常的に「おじゃましまーす」って言うなあ。


そう思うと全部の謙遜がイヤなんじゃないんだな。自分をわざと低くしているあざとさや、一歩引いた距離を感じるのがイヤなんだなあ。






ということで、拙文でございました。





ズコー




ほら!「なんだよここまで言っておいて!」ってなるでしょ?






荻原明(おぎわらあきら)

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