(出典:https://twitter.com/eugenesuzuki/status/956822439853375488?s=20)
子どもの頃に初めて目にした、ピアノのキーカバーに書かれていたこの文字がずっと心の中に残っています。
「美しい音楽も時と場所によっては気になるものです。隣り近所への配慮を十分に。」
自分自身、演奏することを生業としている以上しっかりと心に留めておくべき大切なことだと思っています。個人的な考えではありますが、音楽は「演奏者(発信)」と「聴衆(受信)」の需要と供給バランスが成立している場所や時間で演奏されるべきだと思っていて、だから告知などが全くないゲリラ的に始める音楽には否定的です(遊園地などの演奏は除く)。
一時期「フラッシュモブ」というのが流行りました。発信者側の出力ばかりが強く、受信側の心構えがまったくできていない非常にバランスの悪いパフォーマンスです。
仕事で一度やらなければならない状況に陥り、自分の中で消化しきれないところが多く、演奏中に周りを見渡しても完全に無視している人(心構えがないんだから当然)、僕がそこに立って音を出していることが物理的に邪魔そうな方や、トランペットのベルが向いているせいで音が大きすぎて困っている人(こっちも動けない)、そうした人たちを見て心が萎えっぱなしで全然良い音楽ができなかった記憶があります。本当にごめんなさいもうしません。
先日、人身事故のために終電が数時間動かなかった駅のホームで、電車を待つ人たちへサックスの生演奏を届けたことがネット上で話題になりました。もちろん駅の許可を事前に取ってのことだったのでしょうが、発信と受診のバランスが本当のところどうだったのか、映像を見る限り正直疑問が残ります。
若い頃には遅くまで遊んで終電ギリギリになることもたくさん経験しましたが(今は21時になると眠くなる)、終電車を待つ人はヘトヘトに疲れている人や眠い人が多い中、追い打ちをかけるように事故で数時間電車が来ないとなると、それだけでなく翌日の心配や家庭・家族の心配、やるべきことができずに困ったりイライラしている人、いろいろな人がいます。思いがけず遭遇したこの悪状況下で、一人の世界になりたい人もいることでしょう。
そのような単に暇を持て余しているだけではない状況の人が多く含まれている中、サックスという出力の高い楽器を、ホールよりももっと響く駅のホームで長い時間鳴らされたら体力的にも精神的にも「勘弁してください!」という人が絶対にいたはずです。
動画を拝見しただけでは駅員がどのような対応をしたのかはわかりませんから何ともいえませんが、そもそも駅の(ホームの)目的は電車の乗降であり、遊園地のようなアミューズメント施設のようなほぼ同一の事情を持った人が集まる場所ではありません。ただただ電車に乗って家に帰りたいだけの「演奏を受信する心構えを全く持っていないどころか持とうとしていない人」への配慮はどの程度できていたのか。映像ではとても楽しそうに元気いっぱいに若干タガが外れたような大音量で演奏していたので、駅のどこにいても相当耳に入ってきたと思います。終電者が人身事故で動かない状況ですからすでに日付が変わってしまった未明の時間、他の場所へ避難することもできません。
そもそも電車を待つためにそこにいるわけで、演奏が気になっても迂闊にその場から離れられませんから「うるさいならどっか行けばいい」理論は通用しません。
そうしたことを鑑みて僕にはあの行為は音楽家として認められるべきものではないと感じました。
「音」はパーソナルスペースをいとも簡単に侵食します。耳や皮膚は敏感で、その時に音を欲していない人にとっては過大なストレスになり得るのだ、ということを音楽を生業にしている人は強く心に留めておくことが必要だと思うのです。
音楽家は音楽を発信するだけでなく、音楽がない環境の素晴らしさを提供することも仕事のひとつではないかと思っています。
荻原明(おぎわらあきら)
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