「約束のネバーランド」で感じた音楽の必要性

Amazonプライムビデオでいろいろ観てますが、もっぱらアニメか日本の映画です。

最近は少々時代に遅れをととりつつ、「鬼滅の刃」「進撃の巨人」と話題になっているアニメを片っ端から観ていて、進撃の巨人はテレビの放送に追いついてしまったので今は「約束のネバーランド」を観ています。

若干ネタバレ感のある文章をこれから書きますので、読みたくない場合はそっと閉じてください。


今Season2の数話目で、ファームを脱走してシェルターにようやく辿り着いたところ。脱走してからここまで、ずっとサバイバルな緊張状態で、ようやく一息つけると、ナットという少年がシェルターのピアノを嬉々として演奏し、一緒に脱走してきた子どもたちみんながその演奏に癒されるというシーンがありました。

アニメですからBGMは常にありますが、このストーリーにジャズ要素のあるピアノの音楽が今まで流れてこなかったこともあり、とても新鮮で、観ているこちらもなんだかホッとします。


コロナの世の中になり、禁止や自粛ばかりが続いています。今の生活は最低限のすべきことをするだけの日が続き、いわゆるエンターテイメントや芸能という世界は、必要ないとでも言うかのような扱いを受けています。

そうでなくても以前から音楽や美術という「芸術」というカテゴリーは「そんなのなくても生きていける」と真顔で言ってしまう人が一定数いて、なんと心の貧しい人だろうかと憐れんでしまうと同時に、そんなこと言っているけど自覚がないだけだぞ、と思ってしまいます。


どれだけ音楽に興味がないと言う人も、無音の中で一生を終えることは絶対になく、テレビだろうが街中であろうが、もしくは自然界から聴こえてくる何かで心や体が動かされているわけです。そもそも、人間は不随意運動でリズミカルに音を鳴らしていますし、体が動けば服が擦れる音が出るし、歩行の振動音を体で感じるわけです。

芸術、というカテゴリーに大きくすると、もう本当に日常生活も脳の働きも芸術そのものではありませんか。今日の空は綺麗だなと感じたり、観光地の絶景がすごいと思ったり、目の前の食べ物が美味しそうだなと美しさに感銘を受けて写真を撮ったり、フィギアスケートの演技に感動したり、言葉の重さや美しさに心が動かされたり。居酒屋で流れた音楽がお酒を美味しくさせたり。政治家の文句を言っているのだって、方向性が違うだけで角度が変われば芸術になりうるのです。芸術とは、心から生まれたものを他の人に伝える行為。そして心に刺激を受けること、そしてそれを表に出すことは人間にとって生きる原動力の一つになっているのです。

仕事一筋、芸術なんて必要ないと言うその人が、商品を開発したり販売したり、営業する人だったら、その商品をどうやって多くの人に知ってもらい、気に入って購入してもらえるかを考えるのも仕事です。その時何をするか。広告ですよね。

広告はデザインです。人の心に印象を残すための行為。そしてそこには動画や音楽なども含まれていきます。広義的に芸術を捉えるならば、こうしたものも含まれると考えるべきです。


生きるために必要なものを上ずみの部分だけで良いと絞り、音楽、芸術など必要ないなどと割り切ってしまうこんな時間がこれからも続けば人間の心はどんどん不安定になってしまいます。


音楽や芸術は人間にとって絶対に必要なものです。


さて続きを観よう。





荻原明(おぎわらあきら)


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