できること、できないこと

あんまりこの手の批判を言うのはブログではやめようと思っていたのだけれど、たまには書きます。

障害者とか関係なく、人間にはできること、できないこと、すぐできること、すぐ解決できること、すぐには解決できないこと、どうやっても解決できないこと、他に必要な要素があるって解決できるとなど、様々な状況があります。


「理想と現実」なんてよく使われる言葉ですが、現実は夢がないとかそういうんじゃなくて、実際問題物理的に(現時点では)不可能な状態というのが世の中にはたくさんあります。


例えば一番わかりやすいのが「予算が(今は)ない」という状況。


今回の騒動で言えば、バリアフリーの法律だとかはあったとしても、じゃあ法律が作られたその日から、世界中のすべての建物と道が一瞬にしてバリアフリーになるか、と言われたらそんなの無理に決まってます。


「あんなこといいな、できたらいいな」を現実にするのは、ドラえもんか人間の努力です。確保できる予算を手に入れるのも商売であれば努力ですし、税金であれば協力が必要。


障害者とか関係なく、世の中には努力で克服できない「こうなったら便利なのにな」というのはたくさんあります。それらをガマンする、というのは若干ネガティブな思考かもしれませんが、少しずつそれを解消、解決するために頭で考え、研究し、協力し、努力していくという順序とその時間が人間には必要なことです。


誰かひとりが法律や立場を強く主張して、現時点では難しいことを周りの人間を巻き込んでその場で強行させるというのは、あまりにも横柄すぎると思います。


世の中を過ごしやすい環境に進化させていくことは大切ですが、物事は順序を理解してステップアップしていかないと地盤がもろくて崩れやすいものが生まれてしまうのです。中国の突貫工事で突然崩壊するビルみたいなもので絶対誰か(何か)が倒れます。


困っている人に手を差し伸べることは人間として大切な心ではありますが、その手を差し伸べている人はドラえもんではありません。その人ができることには必ず限界がある、できる範囲が限られている、それなのに手を差し伸べてくれた。そうしたことに感謝を持たなければなりません。


「アンタ、私に手を貸すって言ったんだから、なんでもやってくれるんでしょうね!」


なんて言われたら、手を貸そうとした人はまず逃げます。



同じ人間なのだから、これらのことをもっと学ぶべきだと思うし、まずは自分がもっと理解し、学び、協力してもらえるよう事前に努力すべきだと強く思います。身勝手すぎます。




荻原明(おぎわらあきら)


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