何の疑いもなく小学校、中学校、高校と学校生活を過ごしてきたわけですが、音楽を生業とするようになってから、特にレッスンなど教える仕事の時に「あの授業形態は音楽において足をひっぱる教育方法だった」と感じています。
教室の前にで先生が立ち、教科書に書いてあることを伝え、それを生徒はノートに書き込み、定期的にペーパーテストで回答し、その点数が成績になる、という教育方法のことです。一度に大勢へ何かを伝えるには確かに効率的な方法なのですが、問題なのはこの形態は完全に「受け身」になってしまう点。椅子に座ってさえいれば何か教えてくれて、黙って聞いていれば(聞いているふりさえしていれば)無難にその時間が過ぎていく。そこに興味も探究心も研究意欲も必要なくて、とにかく指定された箇所を暗記さえすればそれなりの点数をテストで稼ぐことができてしまう。
12年もこの形を続けていれば、勉強とはこういうものである、と誰もが無意識に認識してしまうのは当然です。少なくとも、僕が受けてきた12年の教室での授業のほとんどはこのような状況になっていました。
しかしこのスタイル、音楽を学ぶ上で要求されるものとまったく異なるのです。
音楽はある程度のルールはあれど、表現することに正解や不正解はありません。自分がどう感じたか、どう解釈するか、それをどうやって相手に伝えるか、すべて自分でイメージし、構築し、発信しなければ始まらないのです。
音楽を学ぶ最も一般的な方法はレッスンです。レッスンは本来「自分で作り上げてきたものを披露してフィードバックを得る場」であるべきなのですが、若い頃に経験した学びのスタイルが染み付いてしまって「何か教えてくれるのだろう」「さあ私に何かを教えてください」と、受け身の姿勢になってしまうのです。
「テンポはどのくらいですか?」と質問した経験がある方、それ、もう受け身かもしれません。
最も痛感するのが音大受験対策の楽典レッスンで、これを国語や数学のような姿勢で学んでしまうと、楽典のペーパーテストはある程度の点数を得られるかもしれませんが、「楽典が演奏の基盤になる存在」と認識して、関連性を強めていかないと「なぜ楽典を学ぶのか」につながらず、演奏の深みが一向に出せない結果になってしまうのです。
ドとレが長2度である、と回答できることが重要なのではなく、長2度が短2度や長3度とは異なるひとつの美しい音程であり、それを歌ったり奏でたりできる奏者になるために必要な知識なのです。
したがって、レッスンを受けたり、音楽の知識を身につけて、今よりも上達したいと思うならば、学校で受けてきた教育方法とは切り離してみることで、「音楽の正しい学び方」が見つけられるかもしれません。
荻原明(おぎわらあきら)
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