嫉妬をする前に感謝をすべき

他者に対して嫉妬の感情を抱くことは、人間であれば少なからず誰でもあります。

僕もたくさんします。


嫉妬は自分にないものを手に入れた人へ向けられる憎悪の感情。


嫉妬は自身のステップアップの原動力になることもあるので、一概に悪いものではないと思っていますが、扱い方がとても難しいので、大概がネガティブ思考に汚染されて悪い方向へ進んでしまいます。


精神が嫉妬で汚染されると、相手への誹謗中傷、暴力、ありもしないことを言いふらしたりと、『対象を自分の位置まで(もしくはそれより下へと)引きずり下ろそう』とする行動に出ます。バレエシューズに画鋲を入れたり(古い)。


匿名性が高いSNSや、一昔前のオンライン掲示板ではこれが日常化していて、ギスギスしている文章や、もはや罵り合いでしかないやりとりが散見され、見ているだけで精神的に参ってしまいます。


問題なのは、そうしたネガティブ行動に出ている人の多くは、自分を正当化してしまうことです。そうした人の使う言葉のひとつに「平等」があります。


平等でないことを武器に勝手な主張を繰り広げているのですが、その平等とは『対象を自分の位置まで(もしくはそれより下へと)引きずり下ろそう』とする考えに基づいています。


しかし、例えば数千年前、小さなコミュニティがあったとして、体力がある人、狩猟に特化した人、食べられる植物を見分ける力を持っている人などの能力を持った人が、肉や植物を手に入れてくれたり、次の居住地を開拓したことで生き抜いていたのではないでしょうか。

現代であってもそれは同じで、不便だったものを便利にしてくれる発明や、それを具現化する能力のある人、そしてそのノウハウを周知できる人など、様々な能力に特化した人が世の中を便利にしています。


民主主義の世界では、結果的にそのような先駆者が当然お金を儲けることになります。


お金をたくさん持っている人がそれを資金にさらに世の中に還元する何かを発明したり大量生産し、流通させることで、結果的にその他大勢の人が恩恵を受けることになるわけです。


こうした特別な能力、技能、力を持って、それを発揮している人はそれらを備えた状態で生まれてきたわけではないと思います。自分の特徴をよく理解し、自分が活躍できることを深く学び、研究をし、失敗を繰り返し、常にアンテナを張って多角的に努力をし続ける。そうした人たちがほとんどだと思います。


今の世の中は様々なジャンル、カテゴリーのそれぞれエキスパートが支えているわけです。

しかし人間はひとりではできないことが多いため、組織やグループを組んで作業をするのですが、そこでレベルの優劣が生まれることが最も多いのです。


嫉妬をする多くの人は『対象を自分の位置まで(もしくはそれより下へと)引きずり下ろそう』と考えるわけですが、仮に対象である先駆者の能力を使わせなくし、高レベルの人間を抹消し、持っていたお金を単に平等に分配した場合、世の中はどうなるでしょうか。


ゆっくりと、もしくは即座に全員死ぬだけだと思います。


世の中はぞれぞれが得意な分野で、努力をして工夫をして、前にどんどん進もうとする人が世の中を維持、発展させていて、その他大勢の人がその恩恵で生きています。

わかりやすいところで言えば、ライフライン。電気水道ガス通信などが当たり前のように使えるのはその先駆者、エキスパート、そしてそれらの分野で働く人がいてこそです。


ですから、嫉妬して、その対象にダメージを与えて、引きずり下ろそうとする行為は、結果的に自分の首をしめることになると理解すべきだと思います。


まあ、嫉妬に狂う人はそんな理解できないと思いますが。


政治、経済など大きな存在から、職場、クラス、部活動、趣味の団対など小さなコミュニティに至るまで嫉妬が憎悪になって悪循環している環境は当たり前のようにそこかしこに存在しています。


自分自身が嫉妬の感情を抱き、精神が汚染されているともし気づけたのであれば、一旦冷静になって嫉妬する前に「その人たちの恩恵を受けているのだ」と感謝し、そして自分も努力しようと律するべきだと思います。


僕も努力します。




荻原明(おぎわらあきら)

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