四つ葉のクローバー


まあネタで書いてあるのかもしれないから真に受けすぎるのもどうかと思うんだけども...


こういう話ってよく聞くじゃないですか。多分若い人に多い発言だと思いますが、どうも違和感を覚えるんですよね。


なぜ最初から完成された状態を求めるんだろう?と。



あともうひとつ、



自分は何も努力しないのか、と。



おっさん呼ばわりされても構わないから話続けますけどね、恋愛も結婚も、確かに理想はあるかもしれないけど、最初からその理想に完璧に当てはまる人などいないと思ったほうがいい。


だってその理想って、自分の好き勝手に決めた条件じゃないですか。


あらかじめ自分の中で具体的に作り上げた自分の感性に100%はまり、イメージしていた希望通りの商品...服とか食べ物とか、住まいとか車とか自転車とか楽器とか、そんなものに出会ったことありますか?


多分ないでしょう。



じゃあ恋愛や結婚は妥協なのか、と言われればそれも違うと思う。妥協ってそもそも、条件に合わないことを本当は譲りたくないのだけれど、しかたなく諦めることだから。しぶしぶ。



そうじゃないと思うんですよ。



相手も自分も不完全で、許したり許されたり、諭したり諭されたり、怒ったり怒られたり、喜んだり喜ばれたり、そして素晴らしいところは大いに尊敬し、そうやってなんでもお互いのことを受け入れ合って成長していくことだと思います。


誰だって得手不得手はあるし、成功も失敗もする。


それを受け入れて、サポートして、2人で少しずつ高め合おうとする、その気持ちを持っていることが大切なんだと思います。どちらかがそれをサボってしまってはバランスは崩れる。


相手のことを好きだから愛してるんじゃなくて、相手の良いところもよくないところも全部含めて受け入れて、そして自分の良いところもよくないところも全部含めて受け入れられる関係が愛だと思うんです。


槇原敬之さんの「君の書く僕の名前」の歌詞がそんな感じ



最初から理想という枠に完璧にはまった完成形の相手を求めすぎるから恋愛しない(できない)若い人が増えているんじゃないかな、って思ってましたがどうでしょうか。



理想という枠はふたりでひとつ。しかもその枠は柔軟に変形(変化)する。そうであれば、もっと相手を受け入れられるんじゃないかと思うのです。


槇原敬之さんの「君の声を待つ夜」とか「四つ葉のクローバー」の歌詞が今回の話に近いかな、と思うのですぜひ聴いていただきたい。


君の声を待つ夜/槇原敬之

四葉のクローバー/槇原敬之






マッキーライブ楽しみ。





荻原明(おぎわらあきら)

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