いじめはなくならない 後編

昨日の続き


いじめる人はなくならない。これを前提として、いじめられたときに自分を守るノウハウを伝えることが大切だと思うのです。


いじめられた人は、どうしても「じめられる自分が悪い(点がある)」とか自分を責めてしまったり、「誰かに言ったらもっといじめられる(のであれば現状で我慢しよう)」とか、対処方法を知らないのがいじめを発展させてしまう要因のひとつだと思うのです。


『いじめられたとき、あなたの取る行動とは』


追いつめられてからではなく、これを予め周知しておくことが大切なのに、アホな大人が「いじめをなくそう」とか「いじめてはダメ」とか言ってるものだから、「いじめられたら」という点に目を向けられない。だから対処法を伝えることをほとんどしていない。

相談ダイヤルとかありますが、そこに電話する人は追い込まれてすでにダメージが相当大きい限界ギリギリの状態(生きる本能が燃え尽きそうになった人)でしょう。

ところで僕は、中学生のとき少しの間いじめられていました。


こんな性格ですから、弱くていじめれられていたのではなく、「あいつ鼻につく」「なんかムカつく」と、学校の中では一番認められないいわゆる不良グループに目をつけられていた、というパターンです。


中学生のときはとにかく目立ってました。


まず、当時はとても浮いた存在に見られる「男なのに吹奏楽部員」。今もそんな風潮ありますかね?ともかく、これだけでまず目立ってました。

子どもって、大人にはない「子ども特有の理屈」が結構あるじゃないですか。「男は運動部」「文化部は女」だから「音楽は女のすること」。平成になったばかりの当時は全く意味不明なたくさんの認識が学校の中にプカプカと漂っていました。


そこにきて、ピアノが大好き。当時久石譲氏のジブリ作品にどハマりし、親におねだりして電子ピアノを買ってもらい、毎日毎日猛練習していました。ただし、ピアノは習っていなかったので完全独学。

練習して弾けるようになったら、当然誰かに聴いてもらいたい。

ひとつだけチャンスがありました。音楽の授業が始まるまでの休憩時間です。だから音楽の授業になると誰よりも早く音楽室へ乗り込み、グランドピアノを独占し、先生が来るまでおもいっきり弾き続ける。


...思い返すとウザいな俺!


でも、音楽の先生はなぜかとても認めてくれて、褒めてくれて、音楽の授業中に「じゃあ一曲弾いてもらおうか!」とリクエストをしてくれることが何度もありました。

今思えば習ってもいない独学ピアノリサイタルをする勇気などよくあったな、と思います(今は人前でピアノは弾けません)。


それが影響して、完全に「荻原はピアノがめっちゃ弾ける人」と勘違いされ(ジブリ3曲しか弾けない)。習ってもいないのに合唱コンクールで伴奏を任せられたり(それを引き受けた俺どうかしてる)、オフィシャルな場面で校歌を弾いたこともあったようななかったような(目を覚ませ自分)。


式典では全校生徒に向かって指揮。


吹奏楽部の部長。




こりゃ目立つわ。相当うざいな俺!




で、ある日のこと。いつもと変わらず音楽の時間にピアノをジャンジャンバリバリ弾いていたら、突然自分の体がピアノに激突したんです。


どしーん!


痛い。



夢中になりすぎて気付かなかったのですが、どうやらクラスの不良におもいきり背中を蹴られたようです。


「お前、生意気なんだよ!」


とか言われた記憶がありますが、もうね、そんなのに構っている時間なんてないのですよ。

音楽室のピアノをおおっぴらに弾ける音楽の時間は、一週間の中でも数回。その貴重な時間を邪魔されるわけにはいかないのです。


いじめられたショック?そんなものありません。


ガン無視。


不良はより一層ムカついたのでしょう。


連続キック。


ガン無視。

ガン無視。


背中に「邪魔すんな!」の怒りのオーラをまといつつ


ガン無視。


そしたらいつの間にかいなくなってました。


それ以降は物理的攻撃を受けることはありませんでした。


からまれたことは何度かあるけど、でもねそんなことにつきあってる暇なんてないんですよ。誰よりも先に部室に行って、トランペットを吹かなければならないんです。トランペットを吹くために学校に行ってたんですから、その時間を1秒でもジャマされるわけにはいかない。


帰宅するときもそう。一目散に帰宅してピアノの練習をしたいのです。ジャマされるわけにはいかない。



俺の邪魔をするな!!!!



もう全部これ。不良はこんな人間に構ってても面白くないでしょう。だって何も反応がないのだから。



これが僕の体験談。

いやあ自分がウザいね。



でもね、僕はいじめられている人に言いたい。



いじめる人って、いじめた反応を求めているんです。だから道に落ちている特定の石ころや壁をいじめようなんて思わない。ヘタに反応しないこと、これが回避術のひとつです。


そのために、何か夢中になれることを持って欲しい。


なんでもいい。いくつでもいい。部活でもスポーツでも勉強でもゲームでもマンガでも手芸でも花でも料理でも。


ただし、中途半端ではダメ。本気の本気で、できれば人生賭けちゃうくらいのめり込んで。


そうすると、自然と自分の周りに空間が生まれます。しばらくするとそれに同調する仲間が寄ってきて、逆にそれに関われない人が離れる見えないバリアのような空間です。


本気であればあるほどその空間の力が強くなります。



それが勇気となり、自分を守ります。




ただ、これに影響をうけない悪い人間がいます。いじめっ子なんて生易しいものではなくて、罰せられるべき悪人に成り下がった人間の場合はすぐに逃げましょう。


例えば、意図的に怪我を負わせようとした人(負わせた人)、金品を要求する人、騙す人、他に法に触れる行為をとった人。


この場合は自分ひとりで解決はできませんし、自分の意思は通用しません。そうした人は訴えられ、罰せられるべきですから、早急に対応するようにしましょう。




人間が人間でいる限り、いじめる人は絶対に存在し続けます。そして、誰でもいじめられる可能性があります。


だからこそ、いじめられたときに、その状況に応じて対応できるノウハウを予め把握しておくことが大切だと思うのです。



何か夢中になることを夢中で続けてください。それが一番だと僕は思います。







荻原明(おぎわらあきら)

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