みんなに好かれる人もいなければ、みんなが納得する企画もない。
最善を尽くそうとしたとき、周りにどう思われるか、どう判断されるかを気にしてしまうのは当然です。
しかし、その周りの人たちが誰一人として反対することもなく、誰も不満を持たずに終始円満に事を進めていくことなど不可能です。
全員が同じ考えになることがいかに危険なことか、もしもそんな社会が生まれてしまったら、と考えればわかりますよね。
そんな社会は実現するはずがない。
ということは、何か事を起こそうとしたとき、マジョリティが正義だと考えること自体、そもそも違うのではないかと思うわけです。
最近はSNSでも、フォロワーの多さではなく、フォロワーの濃さが大切だ、と言われています。もちろん分母を増やすことは可能性が広がることです。しかし単にフォロワーの人数だけで評価するのはちょっと違うのではないか、と。
僕自身もツイッターやfacebookでもフォロワーの増減で一喜一憂しているのがだんだんくだらなく思えてきて、それよりも次に繋がる結果を求めていくことに目を向けようと。そのためにはどうすればいいか。そう考えるようになってきました。
批判するわけではありませんが、facebookなどで上限までフォローしたり友達申請している方が「すごい!」とはまったく思わないのです。
友達100人できるかな?
いや、そんなにいらないっす。
なので、自分がプロジェクトを立ち上げる側になったときや、中心人物になったとき、周りがどう感じるかよりも前に
「自分がそれをやって面白いか」
と考えるべきだと思うのです。
自分が楽しい!やりたい!実現したら素敵!と思って進めていくものには価値が生まれます。
だから強い意志で本気で楽しむこと。
強い意思があれば、次々と訪れるリスクや不安要素、矛盾点なども払拭できるはずです。
みんなが幸せ、みんなが嬉しいこをと目指す行為はバランスゲームのようです。右に重心を置いてしまえば左が傾く。左に重心を足せば右が不安定になる。そうしていつまでもグラグラした不安に苛まれるくらいなら、中心軸を強固なものにして、そもそもをグラグラしないものにすればいいのです。
その安定感に心を寄せる人は必ず現れます。それは世の中の全員ではありません。でもそれでいいのです。
だからまず自分が楽しむ。
自信を持ってこれは楽しい!と言い切れるくらい強く。
それが成功するための最も大切な要素だと思っています。
音楽(演奏)も同じですよね。
荻原明(おぎわらあきら)
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