平等と優遇

呆れた。

これは男女平等とはまったく違う盛大なる勘違い。



ずっと前から思っているのですが、平等の意味を理解できてない人や曖昧になっていて場面によって使い分けている人が多すぎです。


平等というのは男性も女性も同じフィールドにいるということであって、例えばこのニュースを例にするならば、企業の上位6人の優秀な(もしくは必要である)人材を選んだ時の男女比は企業によっても年代によっても違って当然です。


優秀な男性もいれば優秀な女性もいるし、そうでない男性もいればそうでない女性もいる。


仮に、ある企業に幹部として必要で優秀な男性が6人いたとしても、しかし法律によって女性を3名入れなければならないので、泣く泣く切ってしまったらそれは企業にとって痛手です。


これは単に女性を優遇しているだけで、平等ではありません。


政治の世界も女性と男性を半々にするべきとか言う人もいますし、内閣改造した結果女性が1人しかいない!差別だ!と言う人もいるけれど、そもそも選挙に出馬する人間が男女半々ではないし、だから選ばれた人の男女比もバラつきがあるわけです。

だからと言って例えば選挙に出馬できる男女や当選する男女比を同じにするのはまったく違うわけです。これは平等ではありません。理由は先ほどと同じ。


平等をうたうのであれば選挙結果の男女比はそのまま受け入れるべきだと思います。



そもそも、本当の意味での男女平等を叫ぶのであれば、男性だ女性だという言葉を一切話題にせず、「人間」という見方で何でも決めるべきです。



そういうと必ず出てくるのが、「女性は男性よりも力(筋力)が弱い」「過去の男尊女卑の時代」など、女性が不利な点の列挙です。本当に平等を願うのであればそれは口にしてはいけません。不利な点を利用して、結果を有利に働かせるのは平等ではないからです。

過去の事例も、これからの世の中を平等にするのであれば口にしてはなりません。そもそも「平等であるべき」と話題になっている現代の傾向そのものが過去の事例を反省していることとであると認識すべきで、盾にしてはなりません。


平等とは実力で勝負すること。だから(男女ではなく!)人間個々が持っている弱いところは自分の力で努力してカバーする。個々としての強みを生かす。そうやって覚悟して進むべきだと思います。


本当に平等を願うのであれば今度一切性別という言葉を口にすべきではないのです。



さて、はたしてそんなことができるのでしょうか。

本当にそんなことを望んでいるのでしょうか。

自分の不利なことを性別の問題にすり替えていませんか。



もうちょっと柔軟になりませんか。

ケースバイケース。

人間が人間に優しい社会。

お互いを思い遣る心。






荻原明(おぎわらあきら)



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