ボランティアはされたほうの理解が大切

先日もこのブログで書きましたが、労働の範疇を越えた行為は、完全なる「善意」「ボランティア」であることを


『お客が理解しなければならない』


のです。


あ、今回は特別なんだ、ラッキーだったな、あの人良い人だな、という範囲でとどめておくのです。


味をしめてまたやってくれと思ってはいけません。


僕はこれで「いつもやってくれる人」と思われて大変迷惑をしていることがいくつかあります。断ればいいんだろうけど、他に選択肢がないことや、断った場合の効率性の悪さ(それが自分にも関わってしまう)、結果的に負いそうなストレスを予め摘んでしまうためにも、つい何度もボランティアをしてしまうのですが、良くないですね...。


太宰治の作品に「饗応夫人」というのがありますが、あのご夫人がまさにそれで、血を吐いてまでもボランティアをしてしまうのは身を滅ぼします。


「饗応夫人」ってかなり昔に吹奏楽コンクールの課題曲にもなりました。この文学作品からあの音楽がどうやって生まれたのか未だまったく理解できません。





荻原明(おぎわらあきら)

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