「体育会系の文化部」なんて言い方、よく耳にしますが、最近ものすごい違和感を覚えます。
そもそも体育会系ってどんな意味かと言うと
体育会系
たいいくかいけい 【体育会系】
大学の運動部(体育会に属する部活動)でよく見られる,上下関係や精神論を基本とする価値観。「―の男性」
厳しさの境界線を判断できない人が横暴さを持ち込んできても精神論という盾があって逆らうことができない弱者が生まれるこの流れ。「体育会系」って言葉には皮肉が込められることが多くて、あまり良い意味では使われません。
でも最近のスポーツ界って変わってきましたよね。僕が小学生の頃(30年ほど前)、学校の特設クラブでサッカーをやっていましたが「バテるから水は飲んではいけない」と言われて炎天下の数時間、練習が終わるまで一口も水を飲ませてもらえませんでした。中学校に入ると、運動部の人は先輩からのしごきがあって、なぜか後輩だけが学校の周りを何周もマラソンさせられて、先輩たちはそれを観ながら「おせーぞオラ!」「手、抜いてんじゃねーよ!」とか暴力的な言葉を浴びせてました。いや、あんたも走れよ。
プロスポーツ界では近年、昭和のスタイルで続けている指導者たちが現役選手から次々とパワハラで訴えられ、暴力を振るう先輩は後輩から訴えられて引退を迫られる。そうしたコンプライアンス面でも若い人たちが中心となって柔軟に変わってきていると感じます。少なくとも芸術文化の世界に比べれば。
でも、メディアが変わってない。昭和の流れを変えず、平気で言うわけですよ。
年末にNHKでNコン(合唱コンクール)のドキュメントやっていたのを少し観ましたが、子どもたちの演奏に対して「合ってない!」「全然ダメ」言うだけで、なぜそうなってしまうのか、どのように心がければ解決の方向性を見いだせるのか何も言わない(言えない)投げっぱなしの単なる「指摘」をする指導者を映してはそれを嬉しそうに「体育会系の厳しい部活動」と言い、「理不尽な厳しさによって勝ち上がる勝負の世界」を見事に演出したわけです。だから何度も言うけど音楽ってもっと大切なことがあるでしょう。
部員同士で練習し合うシーンもたくさん放送していましたが、「合ってないんで合わせてください」「歌詞が聞こえないので歌詞を聞こえるように歌ってください」とか「指摘」止まりのフォローのない投げっぱなしの厳しい言葉を使って雰囲気を悪くしてしまうそれは、指導者に問題があるのですよ。最も身近にいる指導者の言葉と指導方法の影響力が強いのは当たり前ですから、生徒たちは先生の真似になってしまうのは当然です。
コンクールの全国大会を目指すのは悪いことではありませんけど、音楽に「勝つ」とかもう本当に使わないで欲しい。勝ち負けじゃなくて、より良い演奏をした団体がより高い評価を得られるだけであって、その「良い」というのがどんなことかをきちんと考えないと。
そう言えば先日の箱根駅伝でも足を捻挫か何かしてもタスキを渡そうとしている姿をテレビの解説が嬉々として伝えていたみたいですね。リアルタイムで観ておらず、ネットで苦言を呈しているのを読んだだけですが。
いつまでも変わらず古い感性でしか伝えられないメディアに辟易します。
最近は「体育会系」という言葉にとても違和感を覚えてならないのです。
厳しさの履き違い、もうそろそろ気づいて欲しい。
荻原明(おぎわらあきら)
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