もう20年くらい前になるでしょうか。ペットボトルのお茶を飲んでいたらガンコそうなおじいさんに「そんなもので飲みおって!」と突然怒られたことがあります。
開いた口が塞がらないとはまさにこれで、自販機の飲み物は20年前だってペットボトルが当然主流でした。というか今と変わってないです。そんな古い話ではないですから。
おじいさんが怒った理由は単に虫の居所が悪いだけだったかもしれませんが、もしかするとその頃、リサイクルやゴミの分別について話題がよく出ていたからかもしれません。その当時住んでいた練馬区は信じられないくらい細かなリサイクルを家庭に課せられていて、あらゆるものを分解して捨てなければならず、とても苦労した記憶があります。経済の流通は環境整備よりも圧倒的に早いので、そういった話題よりも先にペットボトルが主流になってしまったのだと思います。
そして、つい最近こんなニュースをみました。
マイクロプラスチックの害悪の話題、多いですよね。人間も知らないうちに魚などから体内に摂取している可能性があって、それが今後どのような影響を人体に与えるのかはまだわからないのだそう。
思えば昔からそうした「科学的に作られたものは悪」という発想、たくさん耳にしてきましたね。
確かにそうなのかもしれません。摂取しなければしないほうがいいのかもしれない。
でもそれって、追求していくと、現代の地球では生きていくことができないと思うし、何よりも僕の考えとして、そういったことを考えるストレスのほうが害悪だと思ってしまうので、「なるようになる」と流すようにしています。
本当かどうかわからないこと、実証されていないことを個人で進めるだけでなく、それを周りに勧めてしまうことなどは僕はしない主義なので(〇〇は体に良いらしいよ、など)、様子を見守っています。
いろいろな考えがあるのは構わないと思うのですが、強制したり諭されるのは苦手です。
ついでに全然関係ない話ですが家賃の安い郊外に住んで片道数時間かけて都心に毎日通うくらいなら、少し高くても狭くても都心に住んで電車に乗る時間を極力少なくする方を選ぶタチです。
移動時間とその車内でのストレスはお金をかけてでも回避したいのです。
僕個人の考え方です。
荻原明(おぎわらあきら)
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