昨日の話の続き

作品には「テーマ」とその「対象」があります。


例えば「算数問題集〜小学1年用〜」の対象は小学校1年生。


もし、それを手にとった中学校1年生男子が「こんな簡単な問題集なんて作りやがって!俺をバカにしてんのか!」と激昂していたらどう思いますか。


いや、それあなた対象外ですから。落ち着きなさいよ。


と、なります。


問題集も「作品」です。作品には作者がいます。作者はその作品へ作った目的...使用する人に対しての想い(メッセージ)を込めています。


では、そのメッセージとは何でしょうか。


コンセプトによってもいろいろあると思いますが、ひとつ言えることは、少なくとも「へっへっへ。この問題集を解いた小学校1年生を算数嫌いにしてやろう。成績が下がるように間違いだらけにしてしまえ」なんて絶対に思っていない、と言うこと。


当然ですよね。なんで当然と言えますか?


「本が売れなくなるから」


ですよね。信頼を失って、誰もその問題集を買わなかったら、売り上げどころかそれにかかった経費すら取り戻せず、出版社も危険にさらされて、みんな生活できなくなる。そんなリスクを冒してまで購入した小学校1年生を陥れるメリットなどあるはずがないのです。



さて、昨日に引き続き星野源さん安倍総理大臣コラボのお話。


昨日の記事をご覧いただいてから読んでいただけると嬉しいです。

あの動画がネット上に流れて激怒した皆様は一体何に反応したのか。

いろいろあると思います。単純に前から安倍さんのことを「アベ」と呼ぶような人だったら何やっても怒るのでしょうね。


でも怒っている人たちのツイートを見ていると、安倍さんの最も発信したかった「テーマ」「メッセージ」を汲み取っていないことが原因だと感じました。


星野源さんはあの曲でたくさんの人たちに「おうちで過ごしましょう」のメッセージを発信してくれました。安倍さんはその活動に感謝していて、「自分も家ですごしてますよ」とメッセージを伝えたかったのだろう、と解釈しています。

僕はそれ以上でも以下でもなく、そのテーマを受け取りました。うんうん、そうだね、と。皆さんもそのテーマに賛同し、メッセージを発信していることに対してのみ考えれば(安倍さんだろうが)別に怒る理由はありませんよね。


(言いたいことはあると思いますが、まあ聞いてください)


なぜ安倍さんをそこまで信用しているのか。だって、自ら支持率を下げにいくようなこと、するわけないじゃないですか。だから「良かれ」と思ってやっているに違いないのです。安倍さん支持とか不支持とかそういうのではなくて、普通に考えて自分で自分の首を切るようなことを人間がするとは思えないだけです。


じゃあなぜあれほどまでに怒りを買ったのか。それはテクニック不足が原因です。


とても素晴らしいメッセージを持って、それを伝えようと表現しても、テクニックが不足していると誤解を招くことがあります。あの動画を撮影した人も、企画を考えた人も、出演している人もテクニックが恐ろしく低い(だから僕は爆笑したのだけれど)。

誤解を招かないために必要なこと。それは常に客観的視点を持ち合わせていることです。


教えるのが上手な人、いますよね。あれ何が違うんだと思います?

「客観的視点」を持っているからです。「こうやって伝えれば理解してもらえるかな」と常に考えているからです。これ大切。



そういうことですから、安倍さんの伝えたかったことだけを理解して、生暖かい目で見てあげれば、目くじらを立てる必要もないし、それで良くないですか?と僕は思うわけです。


ダメ?



一応この話もしておきます。他の怒りの原因「生活レベルが高そうだ」といったものはですね、日本は民主主義の国なんだし、そもそも日本のトップの人なんだし、それだけ働いてるわけだし、経歴も結果もあるのだから、普通の人よりも良い暮らししていて当然でしょう。むしろ、安倍さんが築60年の四畳半に裸電球ぶら下げて段ボールの机で生活していたら日本という国そのものが不安でたまりません。


生活レベルなどに嫉妬してもしかたがないでしょう。怒りの矛先を間違えています。


東日本大震災が起きた直後、東京で花見を自粛すべきだと言った都知事がいました。あれには目を疑いました。確かにショッキングで辛いことでしたから、それはきちんと胸に持ち続けなければならないのですが、だからと言って日本全体が何日も何日もお葬式ムードで下向いて自粛自粛の生活していて、何か良いことありますか?

徐々にそれに気づいて、やっとこさ「復興」というポジティブな言葉が生まれて、日本を元気にしよう、元気にできる人は元気に生きよう!とみんなで誓ったはずですよね。


今回の騒動で「生活に困窮する人がいるのだから」というのはこれと同じです。みんなが困窮して誰もかれも身動きできなくなって、その先に何があるというのでしょうか。


この発想は生産性がなく、危険です。


ということなので、感覚的に入ってきた情報と、自分の心情を考える間もなく融合させて生まれた「負の心」を増幅させても何の意味もありません。あらゆる視点から物事を見て、客観的に、相手が何を言わんとしているのかを理解する洞察力を持って冷静に、そしてポジティブに生活しましょう。



荻原明(おぎわらあきら)

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