冬季オリンピックまっただ中。
残念ながらほとんど見られていませんが、結果はTwitterやニュースで流れてくるのである程度把握しています。
しかしテレビではメダルを取らないとほとんどニュースにならないので、どんな選手がどんな競技でどんな結果を出したのか、まったく把握できません。
そんな中、Twitterのタイムラインに流れてきたのがこちら。
成績が良くなかったことをデカデカと記事にして、「ガックリ」なんて言葉使うの選手を責めてるみたい。先日も「高木メダルならず」って1面に載せてたし。メダルを取らなきゃ五輪アスリートにあらずみたいな報道は不快。 pic.twitter.com/xulWmchVcG
— ミスターK (@arapanman) February 13, 2018
期待を裏切られると叩くみたいな報道してると、また増田明美さんみたいなことになりかねない。https://t.co/hJ1bKnHvWY
— ミスターK (@arapanman) February 13, 2018
アスリートの皆さんには自分の為に競技に臨んで欲しい。https://t.co/y3yl76DcH4
— ミスターK (@arapanman) February 13, 2018
五輪報道の、何が嫌かって、何が気持ち悪いかって、「日の丸を背負った」とか「国民の期待を背負った」とか、個々の選手の闘いと努力と功績が、すべて「日本という国家」によって達成されたかのように、個々の選手の闘いと努力と功績を、すべて「日本という国家」が「かすめ取る」表現をするところだ。
— きむらとも (@kimuratomo) February 13, 2018
同感。
確かにオリンピックは国ごとで競い合う大会です。
だから「日本代表」と呼ばれるのは当然なのですが、かと言って「お国のために」戦っているわけではなく、日の丸を背負っている日本国民としての責任などありません。
マスコミ関係者の頭の中には軍歌が流れ続けた古い古い体質の人間が未だはびこっているのでしょう。時代錯誤甚だしい。
スポーツはあくまで個人(グループ)で競っているだけ。
それに、それぞれのアスリートはオリンピックという「競技会のひとつ」に向かって自分のベストに挑戦するためにフィジカル的、メンタル的にトレーニングを続けてきたわけです。
それを結果がすべてのように報道するマスコミには昔から嫌気がさしていました。
そもそもスポーツは心身の健康のために行うもの。
それが中年のウォーキングだって、小学生の体育だって、そしてオリンピックだってその根底にあるものは同じはずです。
それなのに、結果が残せなかったらと叩き、アスリートの心を傷つけてスポーツをできなくしてしまう権利などマスコミにはありません。
以前テレビで、多分その国ではあまり浸透していない競技なのだと思うのですが、他の国の選手に比べて決してレベルが高いとは言えない選手が一生懸命競技に向き合っているのを見たことがあります。
メダルは確かにひとつの結果であり、名誉あることですが、自分を高めるために一生懸命競技に向き合い、突き進んでいる人は本当に美しいと思います。
テレビをはじめとしたマスコミは、そういった選手を放送しませんが、結果至上主義や国を背負ったようなまるで戦争のような発想は本当に大嫌いです。
スポーツも芸術も楽しくなきゃダメです。根底に楽しさを感じ、それを求めているからその先が生まれるのです。
荻原明(おぎわらあきら)
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