指導者と指摘者の違い

「違う!もう一回!」

「違う!もう一回!」

「違うと何度言ったらわかるんだ!もういい!」


なんて指導を吹奏楽部で実際に経験してきた者として、「具体的な方法や理由、根拠を示さず、しかも相手のレベルを考えずに自分のイメージを怒号で強制させようとする指導」に心底納得いかない人間です。


緊張感や集中力を生み出すための厳しさは場合によっては必要なことだと思っているので、それは良いんです。

でも、教えてもいないことをやらせて違う違うと怒鳴りつけるのは、もはやいじめ以外の何者でもなく、仮に怒鳴らなかったとしてもそれは指導を放棄した「指摘」に過ぎません。


「指導者」と名乗ったり、そうした立場の人間は、それを伝える側の人に対して、相手にできるようになってほしいことを明確に示し、それを実現する方法を知らない人へはその方法や原理を説明すること、なぜ必要なのか理解できない人には根拠を示すこと、なぜそんなことしなければならないのか理解できない人ややりたくなさそうな人には、それを持っている場合のそうでない場合の実際に起こる事象や経験談を示すこと。そうしたものが必要です。


「言わなくてもわかるだろう」なんて昭和の頑固親父みたいなことを指導する側はやってはいけません。


ただし、1から10まで懇切丁寧に説明することが絶対に必要とも言えず、「あえてキーワードを言わないで自力で気づかせる方法」もあります。ただし、それはあくまでも「自力で気付ける力を持っている」ことが前提で、経験もない人を密林にひとり取り残してヒントだけ与えて放置するような危険なことをしてはいけないので、これも結局指導者がどれだけ相手を見て理解しているかにかかっているわけです。


知ってることを知ってるだけ誰に対しても同じように伝えることが指導ではありません。特に音楽、楽器の演奏、奏法に関しては数学の公式を理解させるような指導ではうまくいかないのです。


毎朝7:30に荻原明ツイッターアカウントと「ラッパの吹き方 Facebookページ」に「 #今朝の一言_ラッパの吹き方 」と題していろんなことを好き勝手に投稿しています。

少し前にこんな話題を出したのでブログにまとめてみました。

荻原明(おぎわらあきら)

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