マスクをして防ぐものよりも、マスクをしないことで得られることのほうがよほど重要だと思うのです。

意見の対立のほとんどは、違うフィールドや違う方向性で個々が(もしくはグループが)ぎゃあぎゃあ騒いでいる状態であり、議論しているように見えて単に自分の意志を主張しているにすぎません。だから結論など永久に出ません。


コロナ騒ぎが始まってからもう3年が経過しますが、コロナ対策に関しても意見が人によって全然違い、方針が統一しません。そりゃそうですよ、だってみんな「コロナ」という言葉を使って違う方向性で話しているんだから。健康のことを言っている人もいれば、健康と言っているように見せかけて言葉の裏では利権や保身が見え隠れしているほうが多いかもしれない。だからマスクをしたほうが良いと言う人がいればマスクなんて意味がないという人もいる。マスクの効果と目的を訴えている人もいるし、その効果や目的も意味ないという人もいる。マスクをすることで利益が生じる人もいるし、糾弾されたくないからというだけでコロナのことなんて全然勉強していないけどマスクを推奨させている人も山ほどいる。


だからコロナの話題で議論は成立しません。


ちなみに僕はマスク大嫌いなのでしたくないのです。小学生の頃の給食当番でマスクをすることすら嫌で嫌で仕方がありませんでしたから、マスク嫌い歴もコロナにはじまったことじゃありません。それにもまして最近では謎の「呼吸ができていない錯覚」を持つようになり、窒息死するんじゃないかと電車内などでドキドキするようになってしまいました。


それは別として、マスクって顔の半分以上が遮られていますよね。表情も読み取れないし、声も響かないので喜怒哀楽が全然わからない。人間ってちょっとした表情筋の動きや口角の移動など、細かいところで意思を出せる人間です。眼力とか言いますが、本来は眼だけでなく表情筋や声のトーン(無言という選択肢も含む)なども全部含めて成立するものだと思います。


表情や声色というのは、自他への感情、心、精神を刺激します。それによって嬉しくなったり悲しくなったり怖くなったり支えられたり。様々な刺激によって心が豊かになるわけです。相手の気持ちを読み取れる能力は、思いやりや気づきの力を養います。自分がどういった立場になれば最適か、自分がどういった行動を取るべきかなどを考えることで、相手との関わりや思考能力を伸ばします。

決して八方美人になれとか、そういうことではなく、いい意味での忖度。


人間らしく生きていくことは人間が持っているすべての機能を稼働させることで成立するのだと考えています。

ましてやその中で最も重要なパーツでる顔が覆われていては人間の魅力がまったく発揮されていないわけですからこれは大問題ですよ。


マスクの重要性を訴えている人もいます。もちろんその言い分もわかります。しかし、


マスクをして防ぐものよりも、マスクをしないことで得られることのほうがよほど重要だと思うのです。


人生で得られるものの量が圧倒的に違います。断言できます。

マスクなどしていては人間らしい生活などできるわけがないのです。


国が室内のマスクも原則不要とか言い出しましたけど、そういうことではなく、自主的に必要のないマスクをするのやめませんか?と言いたい。誰かに言われてとかじゃなく、こんな世の中はおかしいぞ、自ら行動にうつせるようになりませんか?と言いたいのです。





荻原明(おぎわらあきら)

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