なぜ吹奏楽は爆音なのか

タイムラインで目に止まった方のツイートをちょいちょい拝借させていただいております。


Twitterはいろんな人がいろんな意見を交わしているのでとても良いツールですね。考えるきっかけになります。


今回もお借りします。

いわゆる「小さい音」って難しく感じる人が多いんですよね。

理由はいろいろあると思いますが、それの最たるものは「練習環境」だと思います。


特に吹奏楽部の練習環境には「静寂」がほとんどない。決定的に静寂な環境で自分の音だけと対峙する時間などほぼ皆無で、個人練習を同じ空間で複数人が行っていたら、自分の音を聴き取ろうと音量合戦が始まってしまうのは無理もありません。


次にスケジュールの問題。

毎回数時間という限られた活動時間でコンクールやコンサートの練習をするために、個人練習から合奏までスケジュールをギュウギュウに詰め込みます。

また、年単位で見た場合、中学・高校の場合、入部から引退まで3年に満たない期間という怒涛のスケジュール。


1年生は早く先輩たちの合奏に加わらなければならないし、

3年生は演奏の要としての責任を負わなければならない。


楽器を始めて1,2ヶ月で不安定な奏法だろうが、音が少ししか出せなかろうが全員で演奏する本番は待ってくれないので、とにかく音が出れば合奏に参加。

先輩になれば(と言っても楽器を始めて3年も満たないのに)「おまえがちゃんと演奏できなくてどうする!」とプレッシャーをかけられ、難しい音域やパッセージの楽譜を次々と吹かされる。


出せ出せ吹け吹け。


音の出る原理もたいして教えられていない奏者が、教えてくれる人もいないのに出せ出せ吹け吹け言われたら、手段を選ばず(選べず)力ずくで音を出してしまうのは当然です。歯を食いしばり目をぎゅっとつむって、わけもわからず腹筋を使い、顔を真っ赤にして音を出す。


この180度間違った演奏の仕方で出せるのは、線が細く、ピッチの異常に高いつんざくような音だけです。



小さい音——僕が思うに、楽器経験の有無に関係なく、優しく柔らかく愛らしいなどのいわゆる「p(ピアノ)」の音色や雰囲気は誰でも何らかのイメージする力は持っているはずです。


演奏者側の問題点は、それを具体的に実現する方法がわからない(知らない)ということ。


いわゆる「フォルテ」音をフルパワーで演奏している人にとって、対称的な「ピアノ」が脱力から生まれるものとイメージしてしまうのは当然のことです。


しかし、むやみな脱力で「ピアノ」は表現できません。


力をフニャっと抜いて出た、ピッチが垂れ下がり不安定な音は、演奏に耐えうる音でないことはその音を出した奏者自身が最も自覚します。これはソルフェージュ能力に関係なく、イメージしていた音色と現実の演奏のギャップを自覚できるからで、これはマズい、修正しなければ、と何かしらの対策をとるわけですが、力を抜いた結果がダメだったから今後は力を入れるという(それ以外の方法がわからないのでしかたなく)ヘンテコな状態になり、「自分はいったいどこの力を抜いてどこの力を入れていけばいいのか」混乱し、口周辺にに力をかけたりプレスを強くし、結果的に潰れてしまったアパチュアがかろうじて細々としたノイズ混じりの音を出すわけですが、ピッチどころか演奏に耐えうる音色ではないし、この状態をキープするだけでも大変な労力を必要とした結果、瞬間でバテてしまう、という納得のいかない状態が訪れるわけです。


トランペットの場合はそれに加えてハイノートを出すための方法を、空気圧を高めて出すしか知らない人がとても多いので、どうしても1stの高音域を担当する人の音量が大きくなってしまうのだと思います。トランペットがそうなってしまったら、他の楽器もしかたなく合わせていかなければならず、みんながどんどんフォルテの演奏になってしまうのでしょう。


これらの原因はすべて最も根本的な「音の出る原理」を理解できていないのに吹け吹けと言われ続けたことによるものです。指導者がきちんと理論から実践方法までを理解できるまで説明し、ベーシックな部分が安定させる努力を怠った(できない or やらない)結果です。


よって、吹奏楽が「爆音好き」なのではなく、単にピアノの世界観を表現する術を持っていないから、そのぶんフォルテのレンジを大きくする傾向があるのでしょう。



いわゆる「ピアノ」の持つ美しさはみんなイメージできているし、好きだと思うのです。










荻原明(おぎわらあきら)


0コメント

  • 1000 / 1000