レッスンをしていて、例えば「口の中を大きく使いましょう」と言ったとします。
もちろん、それは(僕の持論として)大切なことだから伝えたわけですが、ただそれが
「口の中が大きく使えていないから使ってほしくて」アドバイスしたのか、
「(使えているんだけども)トランペットを演奏する上で大切なことだから」確認のために伝えたのか、
これでだいぶ違います。
個人レッスンの場合はフォローしたり、その続きで「では実践してみましょうか」なんてストーリーを組むわけですから、内容の誤解を与えることもない、とは思っていたのですが、
いや、そうでもない。
生徒さんによってレッスンのときに伝えた言葉のどこに最大のインパクトがあったのかは人それぞで、僕が最も伝えたかった内容、バランスとは違った捉え方をされることのほうが圧倒的に多いのです。
僕の話し方やケアが悪いのかもしれませんが、どれだけ工夫してもこればかりは全員と100%共有することができないので今後の課題でもあります。
トランペットは「こうすると音が良く鳴る」とか「ハイノートはこういった方法による」なんてのも確かにあるのですが、それは結局のところ持論でしかないわけで、だからこそ軸だけはぶれずに様々な角度から様々な方法、様々な言葉遣いで伝え、できるだけ理解してもらおうと努力します。そしてそれぞれに合った実践(練習)方法を見つけて欲しいと思いレッスンをしていますが、どうしても最もインパクトの強かった事柄が最も残り、そうではなかった事柄からどんどん薄れてしまいます。人間だもの。
なので、次のレッスンまでに練習されたこと、そしてそのときにイメージしているであろう事柄にはどうしても僕が思っていた結果とは違った進化を遂げていることが多いのです。
まあでもそれはそれで研究して実験して練習してきた結果で、確実に成長していますので問題ありません。またその立ち位置から前に進めるように話題を組み替えればいいだけです。
個人レッスンはこのように、どうなっていても軌道修正や進行スピードが調整できるのがメリットです。
一方、部活動など複数の奏者に一斉に言葉を投げかけるときには、個人レッスン以上の配慮が必要です。部活や一般バンドの場合、それぞれの持っているレベルも様々ですし、練習量や知識、これまで培ってきた経験などがまったく違うわけです。
その人たちに一斉に何か音楽的な話をすれば、受け取れるキャパも受け取り方も違います。伝えたい真意を理解してくれる人もいれば、まったく違うところを中心軸として捉えてしまう人、まったく理解できない人がいて当然なのです。
ですから伝える側というのは、自分の使いやすい言葉を使いたいように投げかけるのではなく、これから何の話をするのか、たどり着きたいこととは(目指すこととは)何なのかをまず示した上で、実践してみたり伝えてみることが必要だと思います。
レベルの様々な人たちでひとつの作品を完成させる際にはまず、同じイメージ、同じ方向性で演奏できるかが最も重要です。それを確認したり話したりせず、やれピッチだやれテンポだとチューナーやらメトロノームやらを出してきて合わせようとしたって合うはずがありません。
指導者もそうですが、奏者同士も伝えること、受け取ることを繰り返して音楽を共有し、育てていく、そんな「練習」が必要だと思います。
荻原明(おぎわらあきら)
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