音楽は受け取る側にもパワーが必要

「表現」という行為は、発信する側に大変なパワーが込められています。


音楽はもちろんのこと、美術や演劇、ミュージカルや映画、バレエ、落語、お笑い...表現はそもそも相手へ何かを伝えようと人前に立っているわけですから、パワーが込められていて当然。


そしてそのパワーの矛先は、観客を始めとした受け取る側に向けられています。


したがって受け取る側にも「覚悟」という名のパワーが必要になり、発信側と受け取る側のパワーバランスが悪いと失敗する可能性が高いのです。


僕は以前、ららぽーと豊洲で毎月1回、5年もの間パイプオルガンコンサートという企画に参加し続けていました。今はもうパイプオルガンそのものが海外に移設されてしまい、跡形も無くなってしまいましたが、当時は毎日15分程度のコンサートを1日に2回ないし3回開催していたのです。

演奏側は当然、良いものを提供できるように毎回真剣に選曲打ち合わせからの事前の合わせ、当日のリハからの本番でした。喜んでもらいたい、楽しんでもらいたい、いろんな気持ちを強く持って発信していましたが、残念なことに足を止めて聴いてくださる方はほぼゼロなのです(日曜の昼などは、キッザニア入場待ちの親子がパイプオルガン周辺まで並ぶので自然にお客さんが大勢いる特権があります)。

ふとこちらに振り返り、足を止めてくださることもありますが、2分程度の曲でも途中で立ち去ってしまいまうのがほとんど。

演奏に魅力がなかった、これもあるかもしれません。でもそれだけじゃないと思うのです。じゃあお客さんは音楽が嫌いか、というと多分これも絶対違う。カラオケが好きな方もいらっしゃるでしょうし、好きなアーティストのライブにチケット代を払って行ったり音源を聴いたり、もしかしたらピアノを習っているかもしれない。だから音楽そのものはきっと好きなのです。

でもここはショッピングモール。ここに来た目的はパイプオルガンとトランペットのコンサートではないのです。買い物とかイベントとか、他の何かの目的が明確にあるのでしょう。だから足を止めて音楽を聴く覚悟はなかった。

僕自身も同じです。これまでに何度か目の前でコンサートが始まったことがありましたが、申し訳ないけど聴く気ありません。覚悟がないから。他に目的があるから。でもコンサートが嫌いなわけでは当然ありません。


フラッシュモブ、流行りましたね。今でも流行っているのでしょうか。

あれ、毛嫌いする人も結構多いですよね。盛り上がっているのはしかける側だけで、しかけられた側は困惑していることがほとんどです。これも同じ理由です。あの温度差は映像で見ていても感じられますね。


先日ツイッターを見ていたら大雪のために3時間、飛行機の中に足止めをくらった乗客の心を「癒せたら」と思っていきなり機内で演奏した若手音楽家の映像を偶然見まして、こんな文章を書きたくなったわけです。

音楽は、言ってしまえば自己顕示欲の塊であり、今その場所が発信者(演奏者)のパワーを受け止めてもらえる環境であるかを見極めてから実行(演奏)することが大切です。そうでなければ、どんなに素晴らしい演奏も騒音になり、癒しどころか迷惑に感じたり、最悪の場合怒りになる可能性だってあります。


その機内では拍手が起こったそうですが、本当にみんながそう思っていたのでしょうか。

少なくとも僕だったら迷惑だな、と感じます。静かにして欲しいもの。




荻原明(おぎわらあきら)

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