居心地良い空間は自分の工夫と努力で築き上げる

大変共感しました。すばらしい。ぜひ読んでいただきたい。


このブログで一年ほど前、昨年のセンバツが開幕したときに書いた記事があります。

小学生の頃、僕は野球が大好きでプロ野球を観戦しに行くことも多く、当然自分でもやりたいと思って地域でやってる野球チームに入ろうとしたのですが、条件として丸刈りかスポーツ刈り(って今も言うの?)でなければならないという謎のルールがあって辞めました。

丸坊主にするのがイヤだったのももちろんありますが、それ以上になぜ野球をするのに髪型、それも極端に短くしなければならないのか納得できる明確な回答を出す大人がいなかったのが最も大きな理由でした。誰もが「今までもそうだったから」「みんなそうしているから」。「帽子をかぶるときに前髪が邪魔だとかうんちゃらかんちゃら」というグダグダした理由を言う人もいましたが、プロ野球選手に丸坊主がほとんどいないことでそんなものは理由にも何にもならないわけです。


僕は「そういうものだから」「決まりだから」という理由だけで明確な経緯や説明をせず、納得させようとする大人に反発する子どもでした。だから中学校の校則もとてもイヤだった。なぜ髪が耳や眉にかかってしまうのがダメなのか。なぜ学ランのエリについている白いプラスチックの固いやつを剥がしてはいけないのか(下図左参照)。

ルールを守りたくないわけではなく、そのルールを守ることで、もしくは守らなかったことでどんな展開が待っているのか、なぜそのルールを作る事になり、残っているのか、時代とともに変化されない古い古い昭和のルールがカサブタのようになって剥がれずにいる、そういった校則も、それを変えようとしない大人も大嫌いだったんです。



「楽しければいい」というのは捉え方によって変わる

僕が以前指導していた部活動のひとつのところで、生徒にこう言われたことがあります。


「みんなと一緒に楽器を吹いてそれが楽しければ上手になんかならなくていい」


僕がまだ未熟だった頃に指導していて、意気込みすぎていたこともあって生徒たちが辟易していたとも言えるのですが、でもこの言葉はやはりどうしても納得ができないのです。


冒頭に掲載した高校野球のお話にも出てきています。


私たちが掲げている「エンジョイ・ベースボール」は、皆さんのイメージでは「楽しい野球」ですが、私たちにとっては「野球を楽しもう」です。何が楽しいかというと、当然スポーツなので勝つこと。そのために自分の技量を上げて、チームも強くなり、その結果、勝利という果実が得られる。結局みんながやっていることです。
付け加えるとしたら、「より高いレベルの野球を楽しもう」という意識です。より高いステージで野球をして、そこで見える景色を楽しむのが、ぜいたくな野球の楽しみ方じゃないでしょうか。高校野球ではやはり甲子園でしょう。負けてもいいだなんて全くなくて、勝利は貪欲に追求します。


物事を追求した先にしか見えない楽しさ、進んでいったことでわかる心の変化というものがあります。部活動はこれを体感できるチャンスであると思っているので、例えば放課後音楽室に集まって適当に楽器を吹いて(でも成長意欲がないのですぐ飽きて、)友たちとおしゃべりして、たまにみんなとなんとなく合奏して、ああたのしいね。でも練習は適当なので曲作りというレベルには到底達することはできないので、ボロボロな演奏。それ以上進歩しないけれど音楽をやってる部活だから一応何かしら人前で演奏する本番がやってくる。その時になって初めてわかる。全然吹けない、曲にならない。他の生徒から「何あれ?(クスクス)」と嘲笑され。あれ?楽しければそれでいいと思ってたのに、なんで辛い思いをすることになってるの?

それは、吹奏楽部が「音楽をする、みんなで合奏をすることが目的の集団だから」です。エンジョイ・ミュージックのエンジョイはみんなで吹奏楽作品を完成することだからです。


だから「楽しければいい」という言葉は表面的なものにすぎず「自分が居心地良いと感じられる環境を整える努力や工夫をするのは面倒臭い」という身勝手な発想でしかありません。誰かが環境整備をしてくれて、誰かがフォローしてくれる。このモチベーションでは部活引退までの3年どころか半年もつかもたないかでしょう。この自分のモチベーションを他人に任せてしまう姿勢がクセになってしまうと、他のどこの部活に行っても、それどころか大人になっても何をしても続かない人になる可能性が強いのです。


何でもすぐに辞めてしまう人というのは僕の経験則ですが「環境が自分に合わない」「自分が思っていたのと違う」「もっと自分に合っているところがあるはず」という、すべて他人に自分の居心地良い環境を作らせようとしている勝手な発想を持っている人です。


居心地良い空間は自分の工夫と努力で築き上げるのです。


その部活は当時できたばかりの極少人数吹奏楽部でしたが、そうしたモチベーションの生徒が多い中で未熟な指導者だった僕は熱量の設定が上手にいかず、いろいろと辛い思いをさせてしまったという反省と、自分も辛かった経験として自身を反面教師として意識し続けています。


ともかく、部活動に限らずすべてのことについて昔からあるルールや方法をアップデートすべきと意識し、気づける大人でなければなりません。そして、自分で工夫し、努力して環境を整えていこうという意思を持っていかなければ居心地良い空間など生まれません。常に良い状態を求めていくために誰もが変えていこう、変わっていこうとすることが大切だと思っています。





荻原明(おぎわらあきら)





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