自己肯定と自己否定

元プロゴルファーの宮里藍さんがプロデビューして間もないころ、大人気だったこともあり試合が終わるたびにテレビのインタビューを受けていたのを聞いたことがありましたが、特に優勝したわけでもなく、成績も良かったわけではない(と思われる)ときに、今日の試合を自己採点すると何点ですか?とのインタビュアーからの問いに、


「100点です!」


とニコニコ喋っていたのがとても印象的で今でも覚えています。


当時の僕からするとその言葉を理解することができず、ただただ彼女の思考はどうなっているのかと驚くばかりでした。

でもそう思う僕の発想がすでに古いのかもしれない、と今更になって思うようになりました。


元々僕は「100点は絶対に到達してはならないところ」という考え方を持っていました。だって100点(満点)だと自分を認めてしまったらその先がないのだから、これからまだまだ伸びていくには、今の自分に満足してはいけない。


これは結局のところ、「欲しがりません勝つまでは」の精神そのものじゃないですか。戦後教育そのまま。やはり僕はそういう時代に生きてきて、そういった精神教育を受けて育ってきたのだなと思いました。


ただ、100点と言った宮里藍さんが、じゃあそれ以上のことを求めずに自己完結して練習しないのか、といえばまったくもってそうではないのは誰もがわかることでしょう。彼女は「毎回の自分」を認めることで、さらに高みに向かおうという考えで練習に励んでいるのだと思います。

考えてみると、その頃からスポーツ界で活躍するアスリートたちのインタビューはそういった発言が多くなった気がします。とても前向きで、自分を肯定している。一方で昭和の頃のスポーツ選手のインタビューは「自分はまだまだです」という自己否定の言葉を多用していた気がします。


どちらも自分を成長させるための考え方であることは変わりないのですが、その発想の方向性によって、続く道のりが違うのです。自己否定によって選択したその先の道はとても辛く険しく、あまり楽しいものではないのに対して、自己肯定の道は辛く苦しいものがあったとしてもそこに「希望」とか「楽しさ」が含まれているように感じます。



荻原明(おぎわらあきら)


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