マスコミと呼ばれる会社の端くれ社員だけど、同世代の記者の多くはもう遺族取材やめたいって言ってるしそれが苦痛で何人も辞めたよ。
— aoi@9m育休中 (@aoi_january) May 8, 2019
事件事故が起きたらまず遺族取材の慣習やめませんか。他社と比べていかに多くの情報を出したかで競うんじゃなくていかに人道的な報道をしたかで競いませんか。
テレビや新聞などマスコミは最近輪をかけて低俗な取材ばかりしているように感じます。
リンクさせていただいたツイートに書かれているように、自分たちの報道会社がどれだけ多くの情報を得たのかを競ってばかりで、取材対象への配慮など微塵も感じません。
視聴者はそんなことを望んでいると思っているのでしょうか。
報道というのはそもそも、何かが起こったことを周知し、それによって注意喚起したり次の行動に出てもらうための公平な存在だと思っています。だから事実が知りたいだけであって、記者や報道会社の偏った考え方や個人的な思想、私利私欲をそこに組み込むべきではないと思うのです。だから、事件の被害者の心をえぐるようなことなど本来は求められていないはずです。
昔からそうした風潮のテレビのワイドショーが大嫌いで、最近はますます酷くなる一方なのでもうずっとテレビを見ていません。
なので最近観ていると言えばアマゾンプライムビデオ。例えば「美味しんぼ」の舞台は今からおよそ30年ほど前。主人公は新聞社に勤めていて、ちょいちょいマスコミの持っている力や権力を使っているシーンが出てきて、たった30年前はこんなに力があったんだなと、今との違いを感じます。(「美味しんぼ」も相当偏った思想で描かれてますが。)
インターネットやスマホが普及して誰もがマスコミと同じ、いやもしかすると絶対数が多いので、それ以上のことができるようになりました。マスコミの力や必要性が薄れてきて、今までのようにはできなくなり、質を落としてでも生き残ろう、そのためにはどんな手段であっても目立とうとしているから悪化していく一方なのだと思います。
個人的に感じているのは、インターネットが普及し始めた頃、マスコミがネットの存在を受け入れなかったのが失敗だったと思います。上手に使って最初から共存していればこんなことにならなかったと思っています。
まあ何にせよ、テレビや新聞、週刊誌といった昔からある通信媒体はかなり危うくなっています。もしかすると近い将来インターネット業界にテレビ局が買収されるかもしれませんね。
荻原明(おぎわらあきら)
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