小学生の頃、自販機のドリンクに付いているプルトップは、缶詰のフタのように剥がして分離するすタイプでした。
このプルトップを山ほど集めると車椅子になるとかで、躍起になってるクラスメイトが必ずいたわけですが、ただ、そのプルトップが車椅子になったところを見たことがありません。これはやはり都市伝説だったのでしょうか。
そんなことすっかり忘れていたら、こんな記事を発見しました。
そもそも僕はこんな非効率的な行為、まったく尊敬しないわけです。この手間で車椅子一台用意することよりも、もっともっと方法などいくらでもあるはずです。上記に掲載した記事にも書いていますが、わざわざ現在の固定されたプルトップを集めるならば、空き缶そのものを集めることのほうが効率的です。プルトップに価値があるわけではないことを大人が理解していないだけですね。
ですから、プルトップを延々と集めることで車椅子を購入できるほどの資金を集める非効率性を美談だと言ってるヒマがあったら、車椅子を寄付できるもっと効率的で意味のあることを学校教育では伝え、実践していくべきです。
昨日の記事でも書きましたが、どうしても(義務教育の)学校はキタナイものにはフタをして、非効率的で中身のない精神論ばかりのように感じます。実践的な物事を教えるのが下手だな、と。
僕が小学生の時、早く卒業したくてしかたありませんでした。その最も大きな原因が、学校の中がやたらと精神的潔癖さを求めているところ。お金を稼ぐこととか経済の話なんてほとんど言わないじゃないですか。そしていつでも(基準などないのに勝手に決めた大人の)平均値に視点を置いている。だからちょっと感覚が違う子どもはすぐに目立ってしまうために平均で普通じゃないところをいじくられ、場合によってはいじめに繋がっていく。
家に帰れば様々なとこで芸能、汚職、殺人、風俗の情報が蔓延しているのに、学校ではそんな話をすることがいけない、いや、そんなものはないとでも言うような雰囲気になっている。あの強制的無菌室のような空間がたまらなく嫌いでした。
そんな感じのかわいくない子どもでしたから、いつも早く大人になりたい!自由にさせてほしい!そんなことばっかり思っていました。
で、大人になって思います。やっぱり大人のほうが楽しい。
荻原明(おぎわらあきら)
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