必要とされていることをしたい

働くってなんだろう、という話題はいつもどこかで目にします。

お金のため、生活のため、自分のため。それぞれ目的は違うと思うのですが、僕は


「必要とされていることをしたい」


と常に思っています。

ちょっと補足すると「自分が好きでやりたいことをして、それが必要とされたい」と、文字にすると何ともワガママな発想ではありますが、やってても辛いだけでストレス溜まることなんてしたくないのです。それは体力ということよりもメンタル的に。仕事をするなら意欲的に楽しくしたいのです。


それともうひとつ。


仕事だろうが何だろうが人間が人間と繋がっているところには、心がなければいけないと思うのです。

例えば、感謝の心、信頼の心。雇われているから、とか雇っているとか、そんなことの以前に、人間が協力し合って仕事をしているわけですから、お互いを尊重する心が絶対に必要だと思うのです。


それは直接会っていなくても同じで、たとえメールのやりとりだけでも、やはりその人の心は感じるものです。

ですので心のない人からのちょっとした「嫌だな」と感じるやりとりが繰り返され不信感が蓄積していくと、その人個人だけでなく会社全体に対する印象の悪化を抱いてしまい、その仕事に対するモチベーションはダダ下がり。だんだんと「別に俺じゃなくてもよくね?」と思い始めてしまうわけです。

自分が必要とされていると言うよりも自分が単なるコマとして扱われているとわかれば、もはやその仕事をしているだけで素晴らしくストレスフルで、費やしている時間がすべて無駄な気分になってしまうわけです。

毎週毎週ストレスが溜まるし拘束時間が異常に長い(ことも多い)わりに実質稼働時間が非常に短いので、効率の悪さからもストレスを感じていました。どうせ何言っても変わってくれないし、考えようともしてくれないんだったら、自分から少し距離を遠ざけようとするしかないので、このような決断をしたわけです。


会社の事情も、言い分(言い訳)もいろいろあるのかもしれません。お互いお金も大切です。

でもそれ以上に、相手を尊重しない心の通ってない人たちとは、仕事はできないのです。




荻原明(おぎわらあきら)

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