目的地は同じ、スタートは全員バラバラ

昨日トランペットのお話をここに書きました。

「原理」を見いだせれば演奏することはそれほど難しいことではないですよ、というお話です。


「原理」というのは、例えば「トランペットはなぜ音が出るのか」など、その行為が正常に行われることですから、いくつかの方法がある場合もあるのですが、基本的にはひとつです。


いくつもの川があっても、上流にいけばそれはひとつの水源だった、という感じです。


ですから、原理を理解するには「水源」を見つけることが大切です。


しかしここでひとつ問題があります。たどり着く目的地はみんな同じなのですが、スタート地点が全員違うのです。


ある人は町からスタートし、ある人は森の中、もっともっと森の奥地からの人もいるし、離島や地下からの場合もあります。驚くことに最初からゴール地点の人もいるのです。一般的に天才と呼ばれる人です。


普通の競争だったら不公平ですが、こればかりはどうしようもありません。


例えば森の奥からスタートする人は、まず最初に崖を登るところから始まります。崖を登るわけですから、そのスキルや道具を用意する必要がありますね。怪我も挫折もするかもしれません。

一方で離島からスタートする人は、この海をどうやって渡るのか、まずそれが課題です。船を作る技術が必要かもしれません。

地下からスタートした人は残念ながらそう簡単に地上に出てこられないかもしれません。もがいてもがいて大変な思いをする可能性があります。



何の話かと言いますと、例えば「音が出る原理」を理解して、それを実践しようとしても、人間には個体差というものあり、その原理が成立する状態にするために必要なこと、すべきことはそれぞれが違う、ということです。

これは方法だけがわかっていてもできないことです。


音を出すためにはマウスピースのどこを唇のどこに触れるのか、とか言い始めてしまうと、もう大パニックです。しかし、見るべき部分が核の部分であればそういった問題には直面しません。


自分の体の持っている様々な部分の特徴を、原理を成立させるためにどのように工夫して使うかが必要で、これが奏法研究をする際に常に持っておきたい基本的な考え方なのです。





荻原明(おぎわらあきら)


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