奏法について考える時、
— 荻原明(Ogiwara,AKIRA) (@ogiwara_a) June 29, 2019
1+5+4=?
の考え方ではなく
?+?+?=10
の考え方で自分に合った方法を見つけないと解決しません。まず何を求めようとしているのかをイメージを含めて明確にし、それらの要素となるいくつかを組み合わせる実験をして見つけていくのです。
要するに、誰かが言ってた具体的な方法が自分には合わない可能性が高いのです。
— 荻原明(Ogiwara,AKIRA) (@ogiwara_a) June 29, 2019
奏法は「方法」という情報を手に入れるのではなく明確に目指す「結果」を求めて模索し、自分流を見つけていくものです。
だから「何か教えてください」的な受身の姿勢では上達しないのです。
こういったツイートは突然「降りてくる」ので頻繁には書けないのですが、共感してくださる方がいらっしゃると自分の考え方が少なくとも突拍子もないわけではないと実感できてありがたいです。リツイートお願いします。
ずっと昔から感じていることですが、「教わる」ことが「伝授」だと思っている人が多いです。特に「奏法」と呼ばれる目的の演奏技術を手に入れるために体をどう使うべきか、という話題でそれが顕著です。
「伝授」というのは、その人が持っている秘技を伝承すること。しかしトランペットには秘技はありません。秘伝の技を伝えようとしている人がいたら多分詐欺なので注意してください。ネット上にたまにありますよね。
「これをこうして」「これがこうで」「ここをこうすると」「これができる!」
数学なら良いですよね。公式を覚えて、問題に出てきた数値を当てはめれば回答が得られますから。でも、楽器の演奏でこれは成立しません。
なぜか。
人間の体を使うものだからです。
人間の体は似ているようで全員違います。だから公式も秘伝も秘技もありません。
では僕はどうやって教えているのかと言うと、
原理と結果という両端にあるものを伝えています。
例えばトランペットから音を出る原理はひとつしかありません。したがって、人間が用意すべき要素はみんな同じです。例えば唇を用意しなかったら音が出ないというように。
人間がすべき目的は同じなのですが、その条件を成立させるためのアプローチに個人差があるのです。だから方法の画一化は不可能。
残念なことにそれを理解していない指導者が結構いるのです。自分が行っている方法をそのまま伝えて、結果が出ない人に対して「なんでできないのか」と、まるで生徒さんが悪いかのように言ってしまう。いや、できるわけありませんよ、個体差があるのですから。
ここからは僕のポリシーなので共感されない方もいると思いますが、生徒さんひとりひとりに合った方法を手取り足取りすべて伝える、ということはしません。
基本的には、「こういった原理を実現させるために、あなたの場合は自身の体をどのように使うと結果に繋がるでしょうか」と、課題にします。
もちろんたくさんの情報、考え方、可能性、僕自身が実践している方法や考え方を伝え、必ず方向性が正しいのかを確認し、その生徒さんの身体的特徴などについてもディスカッションはしています。さらに、目指す結果が具体的にどのような状態(音、コントロールなど)になるのか、という一例(見本)を僕の演奏で聴いて知識を得てもらうことなどは沢山しています。
回答(目的達成のための必要な要素)はすでに出ているけれど、そこにたどり着くためのそれぞれの要素とそれらの分量やバランス、順番などを自分で見つけてもらいます。
?+?+?=10
このような感じです。「?」それぞれの要素は同じなのですが、入る数字が人によって違います。
学校教育の中でこういった学び方、あまりしませんよね。算数でも、
1+5+4=?
という聞き方しかしない。しかも算数に限らず本来自由な発想で生まれてきた国語などでも画一化した回答にこだわり、自身の感性を認めないことも大変多い学校教育ではカリキュラムがギュウギュウすぎて、時間をかけて「ああでもないこうでもうない」と、いわゆる実験と研究をする余裕がありません。だから可能な限り失敗をしないで正解を導き出す効率性ばかりを追い求めた教育をしています。
「自分で自分の可能性を考え、見つける」ことこそが楽器の上達に必要なので、真逆なんですよね。
僕は学校の画一化された回答に心底嫌気が差していたので、音楽のように自分と見つめあったり、自分をどんどん出していける音楽やトランペットが大好きになりました。
じゃあ算数・数学が好きで得意な方は楽器ができないかと言えば、そんなこと全くありません。単に同じ考え方では結果が導き出せないだけです。
したがって、レッスンで「何か教えてください」というのはよろしくない、ということです。
荻原明(おぎわらあきら)
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