ティンパニの可能性(N響定期)

先日N響定期に行きました。

今回のおめあては東京音大で大変お世話になっている打楽器の久保先生がソロを務めるプログラム。


グラスという作曲家の「2人のティンパニストと管弦楽のための協奏的幻想曲」。ホールの写真撮影は怒られちゃうので、N響オフィシャルのTwitterをご覧ください。


そもそも僕自身こんな大量なティンパニが並んでいるのを見たことがありません。ものすごい小さくてかわいいサイズのもあるんですね。どうでもいいですが前プロの時だけ指揮台が丸くてちっちゃかったです。後日久保先生に教えていただいたのですが、今回のためだけに作った特注だそうです。マエストロが丸いのが良いのだそうです。後半プログラムは普通の指揮台でした。


開演前のティンパニがずらりと並んでいるのを見るだけで興奮します。打楽器が大量に並んでるのってワクワクしません?ポップスのライブでもドラムセットやパーカッションが屋台ブースみたいになってるとワクワクします。


作品も作曲者も僕は知らなかったのですが、映画音楽なども手がけている作曲家のようで、確かに難しさを感じさない作風でした(出だしが若干エヴァンゲリオンっぽかったのは内緒)。

とは言え、聴くことに没頭できたのはオーケストラと、何よりティンパニストのお二人の素晴らしすぎる音楽がそうさせてくださったからです。僕はそこまでティンパニのことに詳しくありませんが、尋常ではないことをしているのだけは客席からでもわかります。


だって、だって、、ティンパニって音階できるんですか?!


だいぶ昔のことですが、エレクトーンの編曲について書かれている本を読んだことがありまして、本当の楽器を知らないエレクトーン奏者が編曲するとティンパニに音階を平気で演奏させてしまうが、それはおかしい、と書かれていて共感したことがあります。

ティンパニは原則として強拍、アクセント部分で根音を鳴らす(もしくは持続させる)楽器と認識していて、編曲する際にもそれを守って書いています。もちろんメロディらしいこともできますが、トランペットのシグナルに似た存在になることがほとんどで(今回のN響の後半プログラム、ショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」がまさにそうでした)、まさか音階やメロディなどというのはティンパニが担うものではないという認識を今回ことごとく覆させられました。


誰もができることではありませんが、この作品に要求することはティンパニの領域を軽く超えていて、それを演奏してしまうソリストのお二人がかっこよすぎます。


本当に行って良かったと思います。素晴らしい演奏をありがとうございました。



ソロを務めたおひとりの植松さんは後半のプログラムで燕尾服に着替えて普通にオケの中でティンパニを演奏されていたのも驚愕でした。お、お疲れ様でした...。




荻原明(おぎわらあきら)








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