「芸術」の線引き

「芸術」の線引きって難しいですね。


愛知のトリエンナーレやウィーンの展覧会では政治的な作品に対して講義したり展示中止になったりといろいろ揉めてます。


昔から(音楽でも)政治と芸術が関わってくることは多く、今に始まったことではないのですが、僕は「自由」という言葉を盾にしすぎていると思うのです。


自由。よく話題になりますが、自由というのは何でもかんでもやっていいことではありません。表現の自由と言って、みんなが目を背けたくなる絵画を新宿駅南口で掲げてはいけないと思うのです(それがどれだけ素晴らし技術を持っていても、どれだけ有名な画家であったとしても)。

戦争の悲劇など、未来へ向けた教訓として作品を創造することは「記録」だと考えます。


じゃあ「芸術」とは何か、と言うと、僕の中では「心を豊かにする行為」だと考えています。

心が安らぐ、楽しい気持ちになる、自分の経験と重ね合わせて涙する。そんな心が豊かになるために芸術は存在していると思いますし、そうであって欲しいのです。


ですから、例えばピカソの「ゲルニカ」は、その「記録」と「芸術」の両面を持った存在だと思います。ただ、それも今の時代だからそう思うのかもしれませんし、日本人が見るからそう感じるのかもしれません。


ですから僕個人としては、問題になったトリエンナーレの作品などに関しては心がまったく豊かにならないどころか、イヤな気持ちになりますから、やはり芸術だと思えません。思想は自由ですが場所と時間を考えなければならないと思います。



荻原明(おぎわらあきら)



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