最近ギスギスした人が増えた理由

普通の学校で「音楽」と聞くと、どうしても音楽室に移動して音楽の先生のピアノで歌をうたったり音楽鑑賞したりと「敢えて」接しているもののように感じてしまいますが、実際はそうではありません。


例えば映画やアニメ、ドラマが好きな方は、BGMとかサントラとか言われる劇中に流れている音楽や、オープニング、エンディングに流れる楽曲に無意識に惹きつけられています。音楽を聴くとその作品を思い出すこと、ありますよね。

では、もしも映像に一切音楽がなかったらどうなるでしょうか。きっと味のない食べ物を口にしているような感覚に陥るのではないか、と想像できます。それがどんなに素晴らしい映像で、素晴らしい台本だったとしても、です。


キリスト教の教会で聖歌を歌うところから今日(こんにち)の音楽の基礎が作られました。信仰心を深め、お互いに高め合うために一緒に歌える楽譜も作られていきました。この流れがなければ西洋音楽は発展しませんでしたし、西洋音楽が発展しなければクラシック音楽だけでなく、ポップスやジャズなども生まれなかったはずです。


「音の高さ」がなくても、一定のリズムが続くと人間は音楽を感じます。それが例えば雨の滴る音のような自然的な存在であってもです。そのことからも、人間の性質としてそもそもリズムを感じるようにできているのだと思います。太鼓を作って打ち鳴らすことにより、戦いに向けて鼓舞し、神様に祈りを捧げ、収穫を喜び合い、そして踊るわけです。

ですから、ダンスというジャンル、ヒップホップなどもすべて音楽があって誕生したわけです(体を動かすためにリズムや音楽が生まれたとも言えます)。ダンスと音楽は決して切り離せない存在なので、例えばフィギアスケートやアイスダンスも当然それに含まれます。


フィギアだけでなくスポーツ全般はリズムで構成されていることがほとんどです。身体能力を高めるための手段として音楽が重要な位置付けになっていることは否めません。


学生運動が盛んだった昭和の一時代はアコースティックギター片手にプロパガンダ的要素の強いフォークソングを歌い、日本の政治や現状に対して物申す若者がたくさんいました(僕はまだ生まれてません)。そもそも芸術というジャンルは「自分の想いを第三者へ伝える表現手段」なので、音楽は作曲者(作詞者)の何かしらのメッセージや想いが含まれていることがほとんどです。したがってそれを演奏する人たちも、作者のメッセージを汲み取り、それに加えて自己の想いを演奏に乗せて第三者へ届ける。これが芸術であり、表現であり、音楽です。


そこまで難しく言わなくても、例えばみなさんも好きなアーティストの歌を聴いて、共感したり嬉しくなったり、何かを思い出して涙したり、一緒に歌ったり踊ったりたくなりますよね。音楽をはじめとした「表現行為」はこのように心を刺激される存在です。


心を刺激されると、肉体的に疲れているのに体が軽くなったり、よく眠れたり、人に優しくしようと思ったり、友達との繋がりが深くなったり、笑顔が増えたり、何かを考えるきっかけになったり、行動を起こそうと決意したり。そうしたことにつながっていきます。


さてダラダラと書きましたが音楽って必要ないのでしょうか。

芸術、文化、芸能は無くても生きていける存在なのでしょうか。


コロナコロナと言いたいことはわかりますが、芸術文化について学びもせずに安直に必要ないと言い切ってコンサートホールを強制閉鎖させたり、音楽イベントを中止に追い込んだり、部活動をさせなかったり、判断を下している人たちは本当にこの選択肢が正しいと思っているのでしょうか。


こうした「手っ取り早い手段」を安直に行うことで人間の心はどんどん悪化していきます。


実際、僕の周りを見る限りでも「この人大丈夫か?」と心配になる人が増えています。これまでの温厚さがなくなってきているのです。そうした人が牙を剥いて不特定多数に噛み付こうとしたり、実際に僕自身も噛まれていて、これらは音楽や芸術、文化が人から離れてきたことがきっかけのひとつだと言えます。


コロナが全く不安ではないと言うのは良くないですが、ただ、僕はそれよりも、文化、芸術、芸能、娯楽などの心のケアがしにくくなったことから精神的悪化による非社会的行為が多発するのを最も危惧しています。デモもイザコザも頻繁に起こるでしょう。路上生活者が増えて治安が悪くなるかもしれません。そうなると犯罪が増える可能性があります。今まで日本は「我慢」をしてなんとか保っている人間が多かったわけですが、もうひとりひとりの人間が自己を抑制できる限界は超えています。その扉が次々に壊れてもおかしくありません。


音楽関連団体が悲鳴をあげています。


音楽や芸術、文化は心の安定を図る重要な存在ですから、コロナであろうが安易にコンサートを中止するのではなく、積極的に開催していくことを強く願っています。


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荻原明(おぎわらあきら)

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