最近、ハイノートについて考えることが多いです。
あ、トランペットの話。
"note"でハイノート本の原稿公開をしていることが影響しているのですが、いろんな角度で考えていると、哲学者みたいに「そもそも高い音」ってなんだろうか、なんて思ってみたりします。
例えば、「背が高い」。直立した状態で地面から頭のてっぺんまでの距離がどのくらいあるのか、という数値で測った結果のこと。「天井が高い」。これも床からの距離。空間的なこと。
例えば、「値段が高い」とか「地位が高い」なんて使い方もしますが、では
「音が高い」
これどこから「高い」という表現を使われるようになったのかな?と考えてみたんです。
そもそも「高音」は、周波数(空気を1秒間に振動させる数=ヘルツ)が「多い」ものに対して使われます。
しかし、ピアノの鍵盤はいわゆる高い音が右にあるし、弦楽器も例えばチェロやコントラバスに至っては高い音を出すために左手を低い位置に移動します。
そう考えると、音楽、演奏においての「高い」は位置的、方向的なものではないことがわかります。
ではどこから「高い」という表現が使われたのか。
音楽すべてに唯一共通して「高い」と言えるのは、
楽譜でしょう。
楽譜は、周波数の多い音をより上に書くことで、音域を表しています。
音域やリズムなどをどうやって二次元上で記号化するか、と考えた結果生まれたものが楽譜なので、音楽の順序からすると楽譜のほうが後です。
その楽譜を元に演奏する側が「高い(ところに書いてある)音」と言うようになり、一般的に使われるようになったのではないか、そんな仮説を自分の中でたてました。
そうするとですよ、演奏する側、特に金管楽器は、いわゆる「高い音」を出すときに「空間的」「距離的」な意識を持ってしまうことの弊害が大きいのではないか、と思うのです。
高い音を出すときに、からだが上に伸びたり、視線が上にいったりすることで、できることもできなくしている可能性はとても大きく、実際レッスンでこの話をして音域変化の実験をしたらとても楽にいわゆる高音域が出せた方もいらっしゃいます。
僕自身も音域変化に上下の空間的、距離的意識は持っていません。どちらかと言えば音域を奥行きで捉えているかもしれませんし、いわゆる高音域ほど下へ向かう意識のほうが強いかもしれません。
ここでそれを話し始めると1万文字以上行ってしまうので、"note"の「ハイノート本」原稿で少しずつ書いていこうと思います。
「高い音」は上に無かったのです。
荻原明(おぎわらあきら)
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