ブラック部活なんて言葉も出てくるくらい、今は部活動にもネガティブなイメージを持ってしまうようになりました。
確かに、顧問の先生のサービス残業の多さや、子どもたちの活動の多様化などを考えると、昭和の頃から何も変化がなく、だれも変えようとしてこなかった(お偉いさんが見て見ぬ振りをしてきた)部活動が時代と合わなくなってきたのもしかたがないと思います。
それこそ数十年前までの子どもは授業が終わったあとにできることが限られていて、暇を持て余した子どもたちが目的もなく街を徘徊して問題を起こすいわゆる不良を増やさないためにも、放課後も学校内に留めてスポーツや文化活動をさせることでうまれる抑止力としての存在でもありました。
しかし今はどこに住もうともできることは多くなり、多様化も進み、ひとつのことを集中的に行うだけが決して良いとは言えなくなりました。様々な物事が複雑に絡み合い関係し合ったユニークな存在が増えたことも要因だと思います。
僕自身は中学生のときに偶然出会った吹奏楽部にドハマリし、すでに中2の時点で音楽が人生だと悟った単純な人間だったため、もう毎日何百時間でも吹奏楽をやっていたい、人生吹奏楽!みたいなアホだったため、顧問の先生に「休日とかいらないから!夏休みも全部やろう!」とか言いまくってましたが、その時の先生の死んだ魚のような目を今思い出しました。思えば新任の若い女の先生でしたが、部活以外にもやりたいことたくさんあったでしょうに、ごめんなさい。
でも考えてみれば僕みたいに偶然ドハマリできる部活に出会えた人ばかりではありませんし、むしろそこまで興味を持てないまま部活を続けている人のほうが圧倒的に多いはず。その人たちにとっては、僕みたいにひとりで盛り上がっている人間は相当ウザかったと思うし、もっと休み休みやりたいと思っていたことでしょう。
そもそも小学校から環境も何もかも大きく変わる中1の入学した時点で、部活動をひとつに絞るなんて無茶だと思います。
いろいろ経験していくうちに「これだ!!」と思うものが見つかったら、学校内ではなく外に出てしまえば良いと思うのです。
例えば塾はずっと昔からあり、当たり前のように多くの人が通っています。
部活だってそうなれば良い。
本気で、本格的にやってみたい、と思ったのなら、しっかり的確な指導をしてくれる人がいるところへ習いに行けば、同じモチベーションの仲間もそこにたくさんいるから、切磋琢磨できるでしょう。
学校にしかない部活も同様で、国や自治体は部活動の中身をどうこう考えたり、学校に外部講師を派遣するだけでなく、外での受け皿をもっとたくさん用意できるようにすればいいと思うのです。
そうすれば地域のスポーツ文化施設にも子どもたちが増えて、しかも大人と一緒の交流もできる。
もともと僕は、部活動というのが一種の社会勉強であると以前は認識していました。大勢の人間とひとつの目標に向かって協力し合い、意見をぶつけ合ってときには相手に合わせることも必要だったりするその環境を体験できる場所だと。
しかし、そんな擬似社会体験なんてせずに、最初から外に出て老若男女関係なくスポーツ文化交流をするほうがよほど良いことだと思います。
僕のところだけかもしれませんが、トランペットのレッスンにいらっしゃっている生徒さんで中高生の方は30数名中、たった3人です(しかも部活でトランペット吹いている人0人!)。
トランペットの活動人口からすると圧倒的に中高生のほうが多いのに、しっかりとトランペットのことを習おうと思う子どもはかなり少ないのです。
それはきっと、部活動でトランペットを吹くだけでもうお腹いっぱいだし、それ以上トランペットにかける時間などないからだと思います。
しかしそれではとても狭い世界で音楽をしているので、刺激も影響もかなり少ないです。
部活がもっとのんびりした存在で、でもトランペットや合奏はとても楽しい!と思ったら、部活もゆるく楽しくやりつつ、トランペットのレッスンを受けて研鑽し、週末は地域の吹奏楽団やオーケストラで大人と一緒に楽しむ。そうしたら音楽に触れる場面が3箇所になり、視野が広がり柔軟性と経験値は飛躍的に上がることでしょう。
人間性を高めることを考えてもこのほうがよほど有意義だと思うのです。
部活はもう、今までのようには続けられないと思います。
だからレッスンおいで〜(結局そこかよ)
荻原明(おぎわらあきら)
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