芸術職とジェンダー

最初に言っておきますが、僕はジェンダーフリー推奨です。生物としての個体差は当然存在しますが男女は生活、勤労、勉学、政治などの活動に対して対等であるべきだし、そもそもそうしたものに対して性別を出してくること自体古い発想だと考えています。性別関係なく個としての能力、センス、努力などで評価されるべきです。


しかし、ジェンダージェンダー言う人の中には少なからず「女性優遇」傾向に物事を運ぼうとしている人がいるのは以前からとても気になっていて、女性だけでグループになって女性優遇を訴える(活動内容がその方向性を持っている)活動は男女平等の観点からは偏っているし、これまでの時代が男性優遇、男尊女卑だったからと、それまでの仕返しとばかりに女性優遇を提唱してくるのは違います。ジェンダーフリーってそういうことじゃないでしょう。

また、例えばですが、ある瞬間の電車のシートに座っている人を切り取って「男性が多い!男性優遇だ!」と、とち狂った発言をする人もたまにいて、こうした人はおかしなフェミニストであり、男性差別になるので全く違います。


さて、今回このような記事を書いたのは、こちらのリンク、「芸術分野で著しい不均衡」というタイトルに違和感を覚えたからで、勉強不足のところもありますが思うことを書いていきます。

ちなみに、わかりやすくするために、男性と女性の括りで書いていきますので、それ以外のいわゆるセクシャルマイノリティについては触れずに進めます。


[芸術系大学の特徴]

いわゆる一般的な大学だと3年生から就職活動をして、卒業とともに就職をする人が最も多いですが、美大や音大など芸術系の大学は、その分野で4年間学んだからと言ってすぐ芸術家として仕事を始められるわけではありません。そうした人は本当に少数です。

もちろん芸術系の大学生も一般就職する学生はたくさんいます。ただ、クリエイティブな分野(画家やイラストレーター、演奏など)で活動したいと目指す人は、はっきり言って4年間の大学生活では全然足りません。なので、さらに進学したり、留学したり、ホソボソとフリーランスとして活動する人が大変多いのです。


リンク先の記事では、美術分野における「教育指導者」「賞選考」「個展開催」「美術館の作品購入とキャリア形成」といった段階において男性が大きく優位を占める現状と書いてあります。この中でとても気になったのは美大生と教授の割合が不均等である件です。


・教育指導者

ここでは小中高の教員ではなく、大学や専門学校での講師、教授などを指していると思われますが、大学の講師になるにはそれなりの結果を出していたり、何かしらの形で認められることが必要で(僕の場合は公募だったので書類選考→実技試験でした)、さらに教授はほとんどの場合突然なれるわけではなく、大学内でもキャリアを積んだ結果なので(音楽の場合、例えばオーケストラの首席であるなど、外部での活動も大きく評価対象に含まれる)そのほとんどが50代以上である場合が多いように感じます。そうなってくると、以下のグラフが示すように男性が多くなるのは当然だと思います。なぜなら、今から40〜50年前の芸術業界の男性の割合は単純にとても多かったからです。

(出典:https://mainichi.jp/articles/20220824/k00/00m/040/220000c)


僕が音大生だった25年ほど前であっても、当時の金管楽器の専攻生は男女比8:2くらいでした。

オーケストラの奏者だって、このリンク先の記事では男性が多いと書いていますが、今オーケストラの中心になっている人はちょうど僕らの世代(40代)です。だから結果的に男性が多くなるのは当然です。差別的に見ていなくても、オーケストラの入団オーディションに応募する男性が多ければ、採用される人が男性になる確率も高くなるわけですから。

しかし、ここ最近は音大の金管楽器も女性の方が多くなりましたから、今後オーケストラの金管楽器の女性奏者、首席奏者も少しずつ増えると思います。ただ、オーケストラは定年制をとっているところが多いので、そんな数年で女性団員がブワっと増えるなんてことはありません。結果が出るのはもっとかかります。


あと、上記のようにメディアがグラフを出してきた時は必ず注視しなければなりません。視覚的トリックで誘導していることが大変多く、この場合は、美大生が何人いて、教授は何人いるのか明確にしないと、学生100人に対して教授1人だとしたら、男性の割合が圧倒的に多いグラフになって当然ですよ。


そもそも、芸術系の大学生の人数で比較するのはちょっと違うと思うのです。先ほど言ったように、しっかり稼げる芸術家になるには相当大変で時間もかかります。ですから、僕は美大生ではなく、「教授職へつながる可能性を持っている卒業後も数年間以上クリエイティブな活動を『積極的』に続けているフリーランスを含む職業芸術家の数」との統計を取ったほうが正しい数値が出ると思います。


もうひとつ違和感を覚えるのは、男女比を常に半々にしないと騒ぐ人たちです。コンクールや選考会で審査員や受賞者の男女比5:5なんて、その時申し込んだ男女比によっても、参加者の奏者レベルや出品作品によっても常に変動があって当然です。男女という括りを意識しすぎるのもおかしいですよ。サイコロを振って偶数と奇数が出る確率は半々なのかもしれませんが、現実はそうとは限りません。

男女比のアンバランスを訴えている人を見ると、女性が優遇されていないとすぐ思ってしまうフェミニスト的意思を感じてしまいます。そこまで男女のことを言うくらいなら、審査員も応募者も完全に性別がわからないようにすれば良いと思います。名前も出さずにカーテン審査にして、審査員同志はエヴァンゲリオンのゼーレみたいにsound onlyにした上でボイスチェンジャーでも使えば良いではありませんか?

ただ、矛盾しているように感じたら申し訳ないけれど、性別(男女だけでなく)がそれぞれの人間の「個の違い」として芸術表現において影響を与え、個性や魅力になっていることは事実だと思います。科学的根拠はわかりませんし、後天的なものがそうさせているのかもしれませんが、ひとつ言えるのは、その感性の違いが良い、ということ。

芸術分野においてそうした「個」としての魅力を存分に発揮することで生まれるセンス、表現の魅力はこれからも大切にしていかなければならないと思います。



荻原明(おぎわらあきら)

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