期待通りの演奏、期待を裏切る演奏のバランス

音大生のとき、「唯一の演奏」を意識してソロ曲を演奏していた時期があります。

楽譜に書いていないことをどんどん詰め込み、他の人にはマネできない自分だけの発想だけで曲を作り上げる。


結果的には、曲を崩壊させて大失敗でした。


自分の中でもコンセプトがまとまっておらず、そんなもの聴く側からしたらメチャクチャ吹いているだけになってしまいます。「これって...あの曲...だよね?」こうなることが予測できていなかった。作品に対する敬意もなく、ただの自分が好き放題演奏するための材料としか思ってなかったのが最悪です。


作品を完成させるとか、歌うとか、表現するというのは、何も自分の中に湧き出たものすべてを脈絡なく使いまくることではありません。料理で砂糖も塩もマヨネーズも醤油もソースも味噌もわさびもからしもお酢も豆板醤もナンプラーもタバスコも全部混ぜ込んで「これが私の創作料理でございます」じゃあ、あまりにも酷い。


和食なら出汁と醤油、イタリアンならオリーブオイルとニンニクと唐辛子といったように、作品によってベースとなるコンセプトがありますし、それらを決めているのは作品を書いた作曲者。そして音楽には基本となるルールがあります。音階(調)とか和音の構築、進行など。

ハ長調はハ音(C音)か、その和音から始まって、ハ音に戻ってくることが最も基本的なルール。そのルールは音楽のことを詳しく知らなくても、聴いていれば「メロディ(曲)が終わった」とか「しっくりきた、納得」と感じます。


ライブでも曲の最後でバンド全員がジャガジャガジャガジャガジャガ....となかなか曲を終わらせずに引っ張って引っ張って、最後の最後にボーカルがジャンプして着地した瞬間に「ジャーン!」と鳴ったら「終わった!うおおおおおおおお!」って感じるじゃないですか。そう感じるのって、あの和音がその曲の調の終わりの音だ、ってみんな聞いてて(感覚的に)わかってるからです。


音楽のルールは音楽の理論を知らなくても「一般的にはこう」というのがたくさんあります。


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講演会とかセミナーって、8割は聴く人がすでに知っている内容であるべき、と言われています。「うんうん、そうそう」「やっぱりそうだよね」と納得できる内容がたくさんあるほうが話を聞いてもらえて、仮に10割全部未知なことを喋ると情報過多になって聞く側は途中で萎えてしまうのだそうです。なるほど僕はレッスンで生徒さんに「一回のレッスンの情報量が多い」と(特に初心者の方に)言われることがあるので気をつけます。


言われてみれば音楽でもなんでも、知ってる曲があるととても安心するし、それが楽しめる。「何にも知らないけどすげー良いんだよ!」って言われても「そうなのか!」とはすぐにはなりません。僕はマッキーこと槇原敬之さんのファンですが、昨年のツアーはデビューから今までの作品を歌うライブでした。昔からずーっと音源を聴き続けている曲だけで、新曲はひとつもないのだけれど、ライブで過去の名曲を歌ってくれると、ますます感動します。まさか今になってこの曲を生で聴けるとは!といった希少さもあると思いますが、これも知ってるからこその嬉しさを感じる瞬間です。


話を戻しますと、曲作りって「期待されている通り」の演奏をすることが大切です。それは決して聴く人に媚を売るわけではないし、何も考えずに演奏しているのではなく、むしろ音楽の基礎を理解し、一般的な考え方を知っているからこそできることです。楽譜に忠実に演奏する、というだけでなく、音楽の流れや表現の仕方に関しても、例えば「トランペットらしい」という一般的にトランペットとしてイメージされている艶やかで豊かに響き渡る音色で演奏することはトランペット奏者として必要な技術なのだと思います。トランペットを構えていて、ホルンの音色で終始演奏していたら不可解ですよね(ホルンが悪いというわけではなく)。

そういった「期待通り」の演奏の中に、ちょっとしたスパイス「自分はここの部分をこう演奏しよう(楽譜に書いていないけれど、それがとても良いと思うから)」を散りばめることで、作品を尊重しつつ、自分らしさも出していける演奏に近づいていけるのだと思います。


プロとしての演奏は、お客さんに「そうそう!やっぱそれだよね!」と思ってもらえることと「この人の音(表現)って良いよね!」と思ってもらえる2つの「いいね!」を持ち合わせた演奏をすることが必要だと思います。


考えすぎて小細工をちりばめた意味不明の演奏をしていた大学生の自分に読んでもらいたい。多分聞く耳持たないだろうけど。





荻原明(おぎわらあきら)

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