吹奏楽コンクールのステージで何十人という奏者が全員、最初から最後まで指揮者を見続けている、そんな光景を何度か見たことがあります。
ゾッとするのは僕だけでしょうか。
もちろん指揮者を見なければならないタイミングはたくさんあります。場面が切り替わるときなどには見ますし、うごきや表情から作り出そうとしている音楽を感じる必要はあります。
でも、それらは「見る」というより「捉える」と言うべきかもしれません。譜面を見ていても指揮者の様子が捉えられていると言う感じ。
違和感を覚えるのは視線や視界が指揮者だけにロックオンされており、たとえ数小節自分が演奏しない場面だとしても指揮者を凝視している。これはやはり違うと思うんです。宗教的というか、とにかく不自然。
吹奏楽部というのは、とにかく不自然なことをしていることが多いと思います。
例えば全員が同じキャラクターを目指しているように感じることがあります。個性よりも統一感という発想。全員が同じであるという発想。とにかく何かあれば「はい!」と同じ言い方をする(させる)とか、楽器の構え方や演奏中のうごきなど。人間の体や心、感性、センスは同じように見えてもみんな違うので、ひとつの音楽を奏でる時にもまったく同じ構え方やうごき、歌い方ができるはずがないのです。なのにそれができている。
さっきは宗教的でしたが、これは軍隊的。やはり不自然。
あと、これもよく聞きますが、使う楽器を統一させる指導者。トランペットはBachの180じゃないとダメとか買うならYAMAHA限定とか。音を合わせるには楽器を統一させる必要があるとか言う人がいると見たり聞いたりしたことがありますが、まあ、あれは楽器屋と指導者の癒着、大人の事情をそれらしい理由をつけているだけなのでしょう。楽器は好きなの買おうよ。
とにかくこういった個性を尊重せずに同じ人間複製していくような傾向にある吹奏楽部が存在するのは事実です。もちろん全部が全部じゃないですよ。
全員が同じキャラクターになる、これをドラクエで例えるならば、同じ職業でパーティを組んでいるようなもの。全員戦士。全員魔法使い。
ドラクエをやったことある人なら、こうしたパーティが大変な苦労を強いられるであろうことは目に見えていますね。
バランスが良いのは、得意とするものが全員違うパーティ。戦士の攻撃力、魔法使いの攻撃魔法、僧侶の回復魔法など。それぞれが得意なことを十分に発揮することで様々な場面に対応でき、効率よくみんなが活躍できる。死ににくい。
音楽もそのほうが絶対楽しいと思うのです。演奏していても聴いていても。
これは作品が完成せずに好き勝手にバラバラで良いと言っているのではありません。職業が違うパーティであっても、魔王撃退という目標はみんな同じであるように、演奏に関してもその作品、コンサートを素晴らしいものにし、聴く人に楽しんでもらう、喜んでもらうなど、ひとつの目標に向かってさえいれば、その手段や発想、センスなどそれぞれの得意とすること、個性的な発想は尊重すべきだと思うのです。
それこそが「そのメンバーのその時にしかできない音楽」を作り出すわけで、音楽、ことにライブ演奏の良さがあると思います。
全員バラバラ。でも全員一丸。このほうが楽しいです。
荻原明(パーティには武闘家を入れるタイプ)
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