クラシック音楽そのものが堅苦しいんじゃなくて、日本人が堅苦しいからそうなっちゃうんじゃないか?(帰国半年経って様々に見た感想)企業からの電話とか堅苦しいよー。スーパーの接客も堅苦しいよー
— 浅原ルミ子 (@rumikoclasahara) February 22, 2019
クラシック音楽はお客さんが集まりにくい、特定の人しか聴かないなど話題になってもうどれくらいの経つでしょうか。
この件について問題提起をされて、実際にそれを打破するコンサート企画を練るなどされている行動力のある方もたくさんいらっしゃいますが、決定的な解決(不特定多数のお客さんが来る)には至っていないと思われます。
そもそもクラシックが「堅苦しい」と言われる所以はどこにあるのでしょうか。
これはあくまでも理由のひとつになると思いますが、「制約が多いから」だと思います。
物音をたててはいけない
飲食できない
声を出してはいけない
原則として演奏中は席を立てない
原則として拍手するタイミングが決まっている
例えば同じように2時間程度イスに座っている映画館は、鑑賞中にポップコーンは食べられるしジュースも飲める。リアクションOK。何ならちょっとくらい会話しても大丈夫。結構自由。
芸術というジャンルで音楽と並ぶ美術。美術館も、飲食はさすがに難しいけれど好きなように動けるし疲れたら座ってもいい。会話もできる。同じ絵を何時間観ていてもいいし興味なければ飛ばしてもいいし、何なら途中で帰っても良い。かなり自由。
それに比べると圧倒的制約の多いクラシック音楽が堅苦しい、敷居が高いという印象を持たれてしまうのもある意味最もかもしれません。
じゃあ、制約を排除したらコンサートが成立するのかシミュレーションしたんですが、音楽で表現するということは静寂も必要とするため、従来の形式をコンサートホールで行うのはちょっと難しい。それをしてしまったら、定着しているクラシック音楽のファンが今度はごっそりいなくなってしまいます。
そこでラフォルジュルネのような屋外で気軽にクラシック音楽を楽しみましょうという試みが生まれたのでしょうが、これもやはり日本では厳しい感がありますよね。結局扱っている題材はクラシック音楽であり、クラシック音楽に対するネガティブイメージを持った人が存在する以上、どのような形式でコンサートを行っても結局は同じであると思われます。だから日本ではラフォルジュルネはそこまで盛り上がらない。結局クラシックファンの集いになっています。
クラシック音楽に対するネガティブイメージ。それを払拭することが重要ではないかと思います。明日はそのへんのお話を。
荻原明(おぎわらあきら)
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