【第3話】クラシックとポップスを比較することが多いけれど

「クラシックはポップスに比べると...」という切り出しがそもそも違うのではないか、と思うわけです。


あ、その前にこの話、昨日と一昨日から同じテーマで書いているのでぜひそちらもご覧ください。

ポップスは、ユニークキャラクターとしての存在がファンをコンサートへ足を運ばせています。その人のコンサートに行くことでその人に会えるしその人だけの楽曲も聴けるというダブルの価値観。


一方でクラシック音楽は、最近確かにアイドル的売り方をするソリストも増えましたが、それだとしても持ち歌を持っているわけではなく、ポップスのような売り方をしているだけで結局はクラシックでは同じことはできないわけですから、非常に中途半端なことになっています。

一時的にその戦略が功を奏し人気が出たとしても、最終的には結局クラシックの持つ強み、魅力である「楽曲を聴きたい」「音を楽しみたい」に回帰するわけです。


クラシック音楽特有の何度も何度も同じ作品をあちこちで繰り返し演奏されていることがまさにポップスとは違う点で、「その指揮者がそのオーケストラとどのようにその作品を作り上げたのか」が注目ポイントなわけです。


したがって、ポップスは「人」に対する価値が最も高いのに対し、クラシックは「音」に対する価値が高いのだと思います。

だからポップスの場合は演奏中も一緒になって踊ったり歌ったりと、音楽、楽曲を用いてライブ空間を共有することを主体とし、クラシック音楽は音ををしっかり耳で捉えることを主体としています。そのため、演奏中は物音を立てずに静かに聴くことが必然となります。ちなみにポップスのコンサートであってもバラードを歌っているときは静かに聴いていることもよくありますが、これは「音」を捉える方向に趣旨が強く傾いたからです。


クラシックの人(特に奏者間)で「ポップスは売れる、クラシックは売れない」と一括りにした話題提起をすることがありますが、勘違いです。ポップスが大人気に見えるのは、トップクラスの歌手が武道館やら東京ドームを埋め尽くしたというのメディアの報道を受け取った際の強い印象を自分の周りのクラシックの現状と比較しているだけ。


それに、ポップスが好きだからどんな歌手のコンサートにも行く!という人は非常に稀であり、ほとんどの場合ファンである特定の歌手のコンサートにのみ行きます。

また、ポップス歌手の誰もが武道館や横浜アリーナでコンサートができるわけもなく、ましてやチケット発売と同時に即日完売してコンサート会場が絶対に超絶満員御礼であるわけもない。ポップスだってクラシックと同じように苦戦を強いられている歌手もたくさんいるのです。

ポップスはユニークキャラクターだからこそ、人気に大きく左右されてしまうハイリスクハイリターンな存在である一方、多少の流行はあれどクラシック音楽にはすでに素晴らしい楽曲がたくさん残っているので、その存在価値の衰退はありません(奏者の衰退は考えたくないけどこの先、可能性がないとも限らない。それは怖い)。


ともかく、まずはポップスとクラシックが「コンサート」という仕組みがたとえ同じであっても、そのスタイルはまったく違うものであると認識し、比較しないに限ります。


ではクラシックはどう売り込むか。


正直今の段階では明確な方法は僕には見出せませんが、ひとつ言えることは、ポップスを参考にしたコンサートを企画しても、それは一時的な盛り上がりにしかならないのでクラシックはクラシックのスタイルを変えるべきではありません。


僕は何か考えて答えに近づこうとする時はいつも、常に最も原点のところに立ち返り、そこを重点的に調べたり考えたりします。花を調べたければ根っこを調べる。だから表面的なことではないポップスとクラシックの両面を比較をしてみたのですが、この先何か見えてくるといいな、と思っています。


堅苦しいと思われず、気軽にクラシックが全ての人の身近な存在になって欲しいと願います。




荻原明(おぎわらあきら)

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