あと、もう一つ苦言。長くなってすみません。
— 佐藤たいち (@ta1_oboe) March 10, 2019
アマチュア吹奏楽やアマオケ界で時に耳にする
『参考音源は参考音源、モノマネになってしまう、自分たちの音楽づくりに影響あるから、聞かない(方がいい)!
楽譜を読んで考えるんだから変な先入観は良くない!』
ってやつ。
絶対ウソ。
→
九州交響楽団オーボエ奏者の佐藤氏のツイートを拝借させていただきます。
このツイートだけ見た人が誤解して、若干雰囲気がゴチャゴチャしていますが、佐藤氏はコンサートにもっと行こう!というお話をしている流れで、このツイートをされています。
この話、僕もよく耳にします。
特に吹奏楽コンクール課題曲のオフィシャル参考音源が出回ると必ず言う人がいる。参考音源を聴くのはよくない、と。
吹奏楽に限らずオーケストラでも同じですね。これから演奏する楽曲の音源を聴かないほうがいいと。
ただ、「聴かないほうがいい」と言っている理由は人によって異なります。
そのひとつが「楽譜から自分の音楽を生み出さなければならない」と言う人の意見。これについてはあまり賛同できません。そう言っている人は楽譜を見ただけでその作品を頭の中で奏でられる力を持っている作曲家だったり、大変経験値の高い音楽家だったりするからです。レベルが違うので通用しない人が多すぎる。
佐藤氏は、たくさんの音楽に出会い、たくさんの演奏を体感することで得られる様々な作品、表現をどんどん吸収すべきだとおっしゃっていて、これについては大変共感します。
何事も模倣から入る。僕もそのスタンスです。
ただ、音源を聴きすぎてバランスを崩すことは結構ありました。
音大の頃にソロ曲を演奏する際、ずっと同じソリストの音源ばかりを聴き続けていたことで、自分の意思とは関係なく「この作品はこのテンポで演奏するもの」「フレーズはこう捉えるもの」「ブレスはここ」と、無意識に思い込んでしまったり、果ては音色に関しても音源の音と違う自分の音を否定的に捉えてしまったりと、非常に単純で良くない影響を受けてしまったことがあります。捉え方が悪いだけです。
しかし、経験の浅い人にとって参考音源の持つパワーはとても強くて、僕が高校生の頃の話ですが(30年近く前)、昔はインターネットなどありませんでしたから、吹奏楽コンクールの課題曲も配布されるオフィシャルの音源くらいしか手に入りません。
当時、頻繁に出身中学の吹奏楽にコンクール練習に顔を出していたのですが、みんなが何度も何度も練習時間にその音源を聴いているのです。そして分析する。
ここのテンポの緩め方は、とか、アクセントの演奏はこうやってるのか、とか。結果的にそれが「参考」ではなく「コンクールを抜けるための完成形」という絶対的なものになってしまい、佼成ウインドの劣化コピーみたいな演奏を目指す団体になってしまったんですね。
参考音源を聴いてはならない、という意見のひとつがこれだと思います。
要するにですね、何でもどんどん影響を受けて、吸収し、模倣して成功したり失敗したり、そんな経験から消化して自分の中にストックしておけば良いと思うのです。
一度自分の中に取り入れたものは「センス」や「知識」という引き出しの中にストックされ、必要になったときに自然と出てくるようになります(自分がそれに気づかないことが多い)。付き合うようになるとお互いの喋り方が似てくるような感じですよ。
音楽は、作曲者が書き記した楽譜を演奏者が解釈し、そこに自分の想いを込め、聴く人へ演奏という手段で音だけでなく「心」を届けるという流通システムが基本です。
自分の演奏を届ける、その意識を持っていることで、単に何かの演奏の模倣をする意味がないことに気づけると思いますし、何を届けたいのか、聴いてもらいたいのかを考えることで、模倣するだけでは自分自身が納得いかなくなるはずだと思います。
したがって、参考音源はどんどん聴いていいのです。
なお先日、トロンボーン奏者、作編曲家の福見吉朗氏が同じ話題でもっとわかりやすく書いていらっしゃったのでぜひご覧ください。↓
荻原明(おぎわらあきら)
0コメント