黒板のキタナイ字

ブログの話題の多くはツイッターから仕入れていますが、先日、学校の英語の先生が書いた黒板の文字がめっちゃ汚くて読めないことに対して文句を言っている学生(高校生?)がいました。

学校関連、中高生のツイートは話題になるとすぐに消えたり鍵アカにしてしまい、これもまた消滅したのですが(携帯からだとなぜが見られるけど、載せないほうがよさそうなので)、たしかに黒板の字は読めませんでした。


そう言えば、学生の時「この先生、イライラしてんのかな」と思うくらい字が汚い先生、結構いました。元々の字が汚いのではなく、きちんと書くのが面倒でミミズが這ったような日本語筆記体を書いていましたね。平安時代か、って感じの。


黒板にとにかく書きまくる。端まで到達すると、最初に書いたところを容赦無く決してまた書き始める。高速で喋りながら高速で書き、そして消していく。ノート取れません。だって読めないんだもの。翻訳しているうちに消えてるし。


「先生ちょっと消さないで!」


と誰かが言うと露骨にイヤな顔をしたり、「書くのが遅いんだよ!」と怒ったり。


いろいろ思い出しました。別に人として悪い先生じゃなかったんですが、とにかくそんな調子でずっと授業するものだから、僕も含めてリタイアが続出。もういいやどうせわかんないし、誰かにノート見せてもらおう。となって授業すら聞かなくなる。



こういう先生って、これからはもう認められないと思います。

教える人って、言い換えるなら「伝える人」。ですから、伝える対象に理解してもらうことがその人の役割なのです。だから伝わりにくい、理解できない伝え方をしている人は「伝える人」ではないのです。


音楽をやっているからとてもよくわかりますが、自分がどれだけすばらしい音楽やイメージを持っていても、それが伝わらなければまったく意味がないのです。何も始まらないから。


伝える対象に媚びろとは言っていません。いかにきちんと正しく伝わるか、そのためにどんな工夫が必要なのかを学び、実践することが必要なのです。



昔はそんな授業でもよかったかもしれませんが、これからはもう認められないでしょうね。






荻原明(おぎわらあきら)

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