時々、吹奏楽部の生徒が楽器を購入するのに「音色を合わせるために同じメーカー、同じモデルの楽器に揃える」とかいう話を聞きますが、楽器揃えたら音色合うの?どう考えても楽器の持つ音色の違いより、演奏者の奏法のクセによる音色の違いの方が圧倒的に大きいですよ。
— 江戸聖一郎 (@SeiichiroEDO) May 29, 2019
よく聞く話です。
日本人は特にこういった「みんな同じ」を好む体質なのかもしれませんが、良いとか悪いという話をする前に、
つまらなくないですか?
もっとさ、自分が一番良い!これが一番好き!ってものを見つけてみませんか?胸を張って自分が大好きなものや大好きなことをすればいいじゃないか、と思うのです。
同じものにとびついて、流行っているものに囲まれて安心して、みんなと同じ顔をしていることが楽しいですか。本当にそれでいいのですか。
ちょっと話がそれました。
楽器を統一させる、というのはどちらかと言うと、そんなおかしなことを言ってる指導者と楽器屋さんとの癒着が最も大きいと思います。楽器屋さんというのはどのお店もすべてのメーカーが揃っているわけではありません。ヤマハ系列のお店に行けば当然ヤマハをイチオシで売っているわけです。アップルストアにアンドロイドの携帯は売っていないわけです。
そうした大人の事情であるなら、わかりやすい大人の事情で済むのですが、タチが悪いのが本気で「同じ楽器のほうが音が揃う」と思っている人です。いや、確かに同じ楽器は同じ音がするので、そういった意味では揃います。
でもそもそも音楽って管弦楽器様々なサウンドを持った集団で奏でる響きが魅力なわけで、仮にトランペットメーカーがバラバラだったとしても、それがその団体の個性になるわけです。
減らず口的に言わせてもらうと、同じ楽器で同じメーカーでもマウスピースひとつ違えば音色は大きく変わりますし、MLボアとLボアでは生み出す音の響きだってかなり変わりますからね、それよりも奏者の持っている身体的特徴のほうが音に与える影響は大きいです。要するに全く同じ音を出したいということは人間が違えばそれは叶わない、というわけです。
先日「音色は変えられない」という話をここでもしましたが、音楽に置いて「揃える」のは、「音楽」です。その作品、その場面でどんな表現をするのか、どんなイメージを持って、どんなニュアンスで演奏するのか、それらの方向性の統一がアンサンブルであり、「揃える」ために最も必要なことです。
それぞれの楽器の持つ「音のツボ」に当てることができれば、どんな楽器でもピッチは合います。そして音楽的表現が統一されたのであれば、十分に音楽になっていると思うのです。
もちろん、あまりに浅くて小さいマウスピースでビッグバンドのリード奏者のように演奏する人がいると、クラシカルな表現の中では統一感を感じさせる演奏は難しくなるかもしれません(それでも合わない、とまではいきません。そうした音楽である、という範疇です)。何にせよ、個を消して社会の歯車になっているような合奏、演奏なんて楽しいはずがありません。
だから最初に言ったようにみんなが同じ楽器である必要などなくて、「自分はこれが一番好きだ!」というものを目指していくことが何よりも大切ではないか、と思います。まずはそこからではないでしょうか。
荻原明(おぎわらあきら)
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