練習の順序

いつも大変有意義な言葉をツイートしてくださっているトロンボーンの福見氏。


僕も同じようなこと、ピアノの先生に言われたことあります。というか、決して過去のことではなくて、今でも音楽教育の世界って、楽譜に書かれた内容を決められたテンポの中にはめ込むことが演奏の成立、みたいなこと(言葉に出さなくても)やっている人結構多いですよね。


もちろん音楽を構成する要素をピックアップして理解させるための訓練も必要かもしれません。均一なテンポをキープする訓練、その正確なテンポの中にリズムを正確にはめこむ訓練。


しかしそうした教育ばかりを続けていると、いつしか教わる側は「音楽」というものはそういうものなのだ、と思い込んでしまい、とてもつまらない「単なる勉強のひとつ」になる可能性があります。ただでさえ学校の中というのは、数学でも何でも「先生が新しいことを教えてくれるからそれを覚えてテストに備える」のようなことばかりやっていて、感性に答えるとか、自由な発想を受け入れるといった本来音楽の持っているものとは相性があまり良くないと感じます。


そんな環境で教育を受けていけば、楽譜が正しく読める、テンポの中にリズムをはめ込むことができる人だから、この子は音楽が優秀である、と思われてしまうことも少なくありません。


それを強く感じるのがレッスンをしている時です。楽譜に書いてあることが理解できず(しかしその作品の音楽は頭の中に具体的に流れている!)、間違えることを異常に怖がる人がいます。頭の中には音楽があり、どんな演奏をするかイメージがあるにも関わらず、楽譜に書いてある情報をきちんと理解できない(解釈が合っているのか自信がない)から、ミスしないように吹かない、という選択肢を選んでしまっているのです。怒られないように、楽譜が読めないことを知られないように、楽譜通り演奏できていないことを指摘されたりバカにされたりしないように保険をかけているわけです。


これは本当にもったいない。


「楽譜に書かれた通りに演奏できている自信がない」というのは、音楽ができないのとは別の話なので、こういう時は「楽譜とかどうでもいいから、今頭の中にイメージしているやつそのまま音にしてみよう」と、一緒に演奏してみると結構演奏できていることが多いのです(もちろんかなり僕が演奏をひっぱりますけどね)。多分その言葉と一緒に演奏したことで「それでよかったんだ」と自信がつくのだと思いますが、再度1人で演奏してもらうと普通に吹いてしまうことも多いのです。


突然楽譜が読めたわけではなく、頭の中にその場面の音楽が存在している、それを優先しただけにすぎません。



だから楽譜に書いてあるデータを機械的に演奏できたから、次は曲想をつけましょう、なんて謎のステップを用意させる音楽教育は終わりにしてもらいたいです。


音楽はそんなに狭苦しいものではなく、心から歌いたい、演奏したいと思ったから音にした、という自由な存在であるべきです。メトロノームの示す絶対的な反復こそがテンポだと思い、教育している人が多いのですが、本来テンポとはフレージング、曲のストーリー展開などからその作品や場面にふさわしいものが生まれると僕は考えています。テンポがあって、そこにメロディという音符の羅列を楽譜の情報を元にはめ込むなんて機械的なものは音楽の本来の姿ではありません(再度言いますが、そういった訓練は必要です)。


もっと自由に楽しくやりましょう。





荻原明(おぎわらあきら)

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