トロイメライとアゴーギク

先日開催しました講師をしているプレスト音楽教室のアンサンブル発表会。タイトルの通りアンサンブルを発表するわけですが、その中で1組、ドビュッシーの「月の光」をピアノソロで、そしてトランペットとピアノでシューマンの「トロイメライ」を演奏された方がいらっしゃいます。


実はこのおふたり、ご夫婦でいらっしゃいます。そしてトランペットの方は期間限定のレッスンに通っている生徒さんです。そもそものきっかけは今月末に控えた結婚式の披露宴で2人で演奏することになっているのですが、学生時代ぶりにトランペットを吹くから、という理由で教室にいらっしゃったわけです。

しかも旦那さまのお仕事の都合で来月にはアメリカへ行ってしまいます。


音楽教室には様々な理由でレッスンに来られる方がいらっしゃいますが、このタイプは初めて。


学生時代以来楽器を吹いたとは思えない手慣れた演奏をされておりますが、レッスン目的も回数も限られていますから、そのほとんどが披露宴で演奏する曲作りに充てているので、僕の基本的なレッスンの形である理論的側面からのアプローチは(ご本人の希望もあって)ぼ何も出すことなく行っています。


ある程度形になったところで、ピアノを演奏される旦那さまにもレッスンにいらしていただき、最近はお二人で曲作りを進めておりますが、この旦那さまの演奏を最初に聴いて大変驚きました。


アゴーギクが素晴らしい。


アゴーギクというのは音楽の緩急を表現することで、音楽は拍子とかテンポによって構成されているけれど、それが機械的に進行するわけではなく、様々な理由で緩急が存在するのが当然なのです。しかし、日本の音楽教育はそうしたものを基礎ができてから付ける「付加的要素」だと思っている指導者があまりにも多く、現場ではメトロノームカチカチと鳴らして拍やリズムを「はめ込む」指導をしてばかりです。だから心から生まれる自然な発想を押し殺してまでも機械的正確さこそが音楽であると勘違いしている人の何と多いことか。

僕はそうしたアプローチの音楽教育が心底イヤで(当然正確なテンポ感、ビート感を身に着ける訓練やそうした練習は必要だと思っていますが)、もっと自由に心から表現する音楽ができる奏者になって欲しいと、アゴーギクについても曲作りの時にはよくお話しています。


旦那さまはそれが最初からできているのです。幼少の頃から素晴らしいピアノのレッスンを受けてきたのかと思いきや、お話を聞くと数年前から独学で弾いているとのこと。アゴーギクに関しては、たくさんの奏者の音源を聴いているだけ、と。


趣味でピアノを始めた方で、感情を演奏に反映しようとしているのは聴いたことがあります(高校生の頃の私です)。でもそれって、誰かの真似をしているだけだったり、感情がこもり過ぎて作品が崩壊しそうになったり(高校生の私です)、根拠のないテンポの緩急で大変不可思議な表現になったり(ワタシデス)するものですが、旦那さまはそうではないのです。


ちゃんと理にかなったフレージングとアゴーギクができています。


こういうのを「センスある人」と言うのですね。



ともかく、数年ぶりにトランペットを出して、ほぼウォームアップなし、理論的側面のレッスンなしで(High Bbとかその下のA音の伸ばしとか何度も出てくるのに)シューマンの「トロイメライ」を演奏できてしまうのも凄いですし、独学で数年前にピアノを始めてドビュッシーの「月の光」をあれほどまでに表現できてしまう旦那さまも凄いです。


もしずっと日本にいられるのなら、基礎的なところからじっくりとレッスンしたかったのですが...。

ともかく、発表会で人前で演奏する緊張感を体感できたと思うので、今月末の結婚式で素敵な演奏をされるのを期待しています。




荻原明(おぎわらあきら)

0コメント

  • 1000 / 1000