ロングトーン、やってますか?
(楽器を演奏していない方はすいません。)
私は「ロングトーンの練習」が昔からあまり好きではないのですが、一人自分のペースで音を丁寧にのばして響きを確認したり、合奏の中で自分の音がどのように聴こえるか、他にどんな音が聴こえるのかを考えながら音をのばしてみたりするのは楽しいものです。結局は好奇心と探究心を持てるかなのかなと。
— おのれー (@rapparapa18) December 16, 2019
「基礎練は意味がない(つまらない)」という意見。問題なのは「意味がない基礎練」になっていることなのかなと。目的は何か、その先にどんな音楽があるのかを一人ひとりが意識できているか。また、個々の課題に応じてやるものと、合奏技術として必要なものも区別できているか。そこに鍵がありそうです。
— おのれー (@rapparapa18) December 16, 2019
それを「ロングトーンは大切だからやれ」というのでは、「ただ音をのばすだけの耐久練習」になりかねません。音の響きを丁寧に観察し、息の使い方とそれに伴う体の習慣や変化に気づき、それを曲の中でどのように活かしていくかまで考えてやること。ただやらされる練習にならないようにしたいものです。
— おのれー (@rapparapa18) December 16, 2019
生徒さんのTwitterを拝借させていただきます。
こう言った話題になると、いつも気になるのが表面的になことで意見を交わしている点(おのれーさんのTwitterについてではありません)。練習の仕方についても、楽器の吹き方についても、楽器やマウスピースについても、何でもそうです。YouTubeのコメントとか見てしまうと本当にうんざりします。
僕はレッスンをしていく上で何についても「根底」をまず探すようにするクセが身についてしまいました。例えば(レッスンではありませんが)口論になっている2人がいたとして、自分の価値観だけで「この人が正しい」と思うのではなく、まず最初に「この人はなぜこのような意見になったのだろう、結局は何を求めているのだろ」う、と考える。すると両者がなぜ意見が合わないのか、その亀裂が起きている部分を見つけられることが多いので、そこを何らかの方法で埋めるなり理解し合うなり(敢えて理解できないなら離れるなり)、対策が取ればいいのにな、と思うわけです。
感情や精神的な側面を満たしたいだけの人(場面)にはこれは逆効果の発想なのですが。
おのれーさんのツイートの中に出てくる「ロングトーンは大切だからやれ(ご本人の言葉ではなく、強制をした場合、という仮定で出てきた言葉)」という指導は本当にいただけませんね。言い方の問題ではなく、若い指導者に多い「自分が習ってきたこと(自分がやってきたこと)をそっくりそのまま伝える」伝言ゲーム的指導になっているからです。これは効果的なレッスンとは言えません。中身がないからです。
ロングトーンに関して、僕はロングトーンをするかしないか、どっちでも良いという意見です。
なぜならロングトーンは単なる「箱」だからです。詳しくは「ラッパの吹き方:Re」というブログに書いておりますのでぜひご覧ください。3回に分けて書いたのでよろしければ全部ご覧いただければと思います。
そういうことなので、敢えて「これからロングトーンという練習をします」なんてことは必要なくて、ロングトーンで培うべき内容を何らかの方法で習得していくことができればそれで良いのです。結局はできないことができるようになるのか、できることのクオリティをあげることができるか、そうした練習、研究であることが大切なわけです。
荻原明(おぎわらあきら)
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