僕はレッスンを「外に向かって発信する意識を強く持って演奏する場」と思っています。
個人レッスンでも部活などのパートレッスンなどでも「きちんと吹かなければ」「ミスしないようにしなければ」という気持ちが強く、意識のベクトルが内側に向いた保守的な演奏のシーンに大変多く遭遇します。
しかし演奏とは本来、自分の思いやメッセージを聴いてくれる人へ届けるための「外側に向かうベクトル」の強い行為です。個人レッスンと言えども演奏する人(生徒さん)とそれを聞く人(講師)がいる以上同じなので、レッスンはすでに人前で演奏する「披露の場」であると自覚してほしいとよくお話します。
僕が思う最も理想的なレッスンは、出された課題に対して自分なりに試行錯誤してまとめ、作り上げたものを講師という観客に向かって披露し、それについてより良い方向に進むためのアドバイスや具体的な方法という「新たな課題」をお土産としてもらって次回に備える繰り返しです。
演奏会とレッスンの違いは「観客がその場で何か直接言ってくるかこないか」だけです。いちいち的確なアドバイスを客席から投げてくる本番という感じであり、それは講師として課せられた責任とも言えます。客が演奏者に対して文句だの愚痴だの、ましてや根拠のなく演奏に対して怒ったり叱ったりする奏者を追い込む行為はレッスンとは言えません。
ともかく、演奏者(生徒さん)は「ミスしないように」とか「これでいいのかな?」「合ってますか?」という低姿勢な状態で演奏して、あわよくば講師の先生に怒られないでOKをもらおうと媚を売る演奏していては、音楽の本質と全然違う目的になってしまい、これでは全然意味がないのです。だって本番の舞台で「こんな感じで皆さんご納得されますでしょうか?」なんて演奏されたらお客さんとしてどう感じるか考えればわかりますよね。レッスンでもそれは同じということです。
ただ、これはもちろん最も理想的なレッスンであり、いわば音大生などに課せられるものです。趣味で楽しく演奏している方にここまで追い込む要求は僕はしません。お仕事や勉強などで忙しい中でもトランペットを吹くことが楽しく、得るもののある有意義な時間になってほしいので、僕の場合はレッスンからレッスンの間に一度も楽器を吹く時間がなかったとしても一向に構わなくて、ましてや怒ったり諭したりしません。そうだったら講師が工夫を凝らして「初見演奏時の考え方や実践方法」に切り替えるなどレッスン内容を変えていけば良いだけです。
ただし、どのような状況であれ自分の演奏を発信する気持ちだけは常に持っていてほしいとは伝えています。だから僕は「ミスなんて気にしなくて良い」「合ってるか合っていないかは自分の心や頭の中に描いた音楽と照らし合わせての結果なので僕(講師)が決めることではない」とよくお話します。もちろんミスをしないための理論的な方法や、マジョリティの表現について言及はします。しかし、それよりもまずは自分が一番良い!と思う演奏を聴かせて欲しいのです。
レッスンはひとつの本番であり、披露の場なのです。
荻原明(おぎわらあきら)
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