自分の価格

こりゃすごいなあ。

このツイートを読んで、過去にこんな記事を書いたことを思い出しました。

我々は提示された金額と商品の価値が妥当か判断し、購入に踏切ります。ほとんどの人はそのような「買う側」の立場しか経験したことがなく、「売る側」「価格を決定する人」になることがありません。


しかも、「演奏」「指導」という形のないものを商品にする場合、その基準を定めにくく、経験がなければないほどディスカウント価格でOKしてしまいます。


「ギャラは出せないんだけどさ、お弁当出すから、ちょっと演奏(or 指導)してよ」という依頼を受けて、それを「仕事」と言ってしまうのは問題です。それは仕事ではなく慈善事業

です。でも、そういうのを受けてしまう人ほど「仕事」という単語を使いたがる傾向にある気がします(自分調べ)。

そうやって自分が長い年月積み上げてきたスキルを大安売りして、「(自称)仕事をした」経験だけの充足感に浸って結果的に大赤字になっていては、近い将来破産してしまうわけです。音楽で稼げないからそれを補填するために音楽と関係ないバイトをしている、という人の中にはこういう人が実際いるのです。


そうした慈善事業赤字活動を自分だけの世界でやっているのであれば別に良いのですが、そうもいかないのです。

「この前お弁当出したら演奏(or 指導)に来てくれたよ」と、音楽家の市場価格を下げてしまうきっかけを作っているのです。学校などは翌年の予算を決めるときに前年を参考にするでしょうから、極端な話「指導料は予算に含めない」となってしまうのです。


実は若い頃、そうした部活指導に数年関わっていたことがあります。最初から無給なんです(交通費のみ支給)。なぜそれを請けたのか。単なる自己顕示欲です。手帳に音楽関連のスケジュールをパンパンにして「あ〜イソガシイイソガシイ」と、あわよくば誰かにそれを言いたかっただけです。


でもしばらくして、無休で自分のスキルを大盤振る舞いしている自分に苛立ちを覚えるようになりました。これは仕事でも何でもない。ただ良いように使われてるだけじゃないか。と、目が覚めたので、申し訳ないけれど辞めました。


ですから僕は音大生であっても卒業したてでも、ギャランティは絶対に請求するべきだと考えています。


では金額はどうするか。これは一概に決めるのは難しいところですが、ひとつの基準として「生きていけるか」で定める。例えば毎日その仕事をしていたらそれだけで1ヶ月きちんとした生活ができる金額を考えてみるわけです。


例えばですよ、1ヶ月に5日休日を設けても、月に20万円の収入が欲しいとなったら(それで生活ができるかは知りませんが)、1日におよそ8,000円の収入がなければならないわけです。ただ、会社員ではないので毎日コンスタントに8,000円の仕事をもらえるのは難しいと考えるならば、例えば一回の指導は最低「10,000円/全日」にするなど、仕事量の見込みとのバランスで金額設定するのが方法のひとつです。


また、自分の得意とする分野の金額は他よりも高めに設定するというのもアリです。自分の実力を「客観的」に見たとき、「このくらいの金額は払って当然だろう」という金額設定をするわけです。

ただ、これらは基準がないとわからないので、それはリサーチが必要です。お金が欲しいからと言って1レッスン60分50,000円なんて設定したら誰も来ません。誰もがみんな金額を教えてくれるとは思いませんが、調べてみるのは必要かもしれません。


どうしても練習をする、良い演奏を披露する、そのことばかりに意識が向いてしまいちがですが、「自分の価格」を考えることは、この先音楽家として生きていく上でとても大切なことですので、きちんと決めておきたいですね。




荻原明(おぎわらあきら)

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