具体性なさすぎ

昨日Twitterを見ていて目に止まった記事。


トロンボーン奏者で作編曲家の福見吉朗氏のTwitterです。福見氏は管楽器にとどまらず音楽全般について的確で素晴らしいことばをたくさん発信されていて、共感できることがとても多いので僕のTwitterでもたくさんリツイートをさせていただいております。


このTwitterでのやりとりは、最近SNSで人気のSarahah(サラハ)という匿名でコメントを送信できるサービスです。最初にこれを見たとき、僕はこう思いました。

他の業界の方であればいつもは聞けなかったことに答えてくれて面白いかもしれませんが、音楽業界では確実に方向性が変わると思ったのでやっていません。そもそもこれは質問箱ではなくてメッセージボックスだそうです。

でも、福見氏はひとつひとつ丁寧に優しい言葉で答えていらっしゃって尊敬します。


それで、最初のツイートです。福見氏のアンサンブルについての回答に対してのコメントが


「具体性なさすぎ」


この期待を裏切られたとでも言いたげなものの言い方。これを見て、ものすごくいろいろ考えたので書いてみます。



具体性なさすぎ

いったいこの質問者はどんな回答を期待していたのでしょうか。


数学的具体性?

単に自分が納得できる言葉がなかった?

回答が抽象的で理解できない?

自分で回答を導き出さねばならない面倒さ?


いろいろ考えました。結局のところ「具体性なさすぎ」だけでは真意はわかりませんが、でもひとつ言えるのは


「自分の思っていたことと違う」


ということです。



音楽は具体性がないもの

数学のようにあらかじめ定義されたものに対しお互いが理解し合うスタンスと違い、音楽はそもそも具体性や絶対的なものがありません。


その具体性のないものをレッスンや文字で強引に言語化、文章化して伝えようとするのですから、受け取る側は常に「今は伝える側の主観を聞いているのだ」と理解した上でイマジネーションを働かせていないと絶対に


「あの人、何言ってるのかわかんない」


となるに決まってるのです。


他人の頭の中など共有できるはずがないのです。


ですから、レッスンや質問の場でアドバイスをもらったときには、投げかけられた言葉をそのまま受け取っても理解できません。一度自分のフィルターを通して、自分が理解できる言葉に変換する作業が必要になります。




アンテナの感度

ですから、福見氏のおっしゃる「アンテナの感度」という言葉についても、それがいったいどんなことを指しているのか、一度自分自身の中にあるボキャブラリーで変換する必要があるのです。


まずはイメージすること。


アンテナとはどんな役割を持っているのか。

アンテナの感度が良い/悪いとき、どんなことが起こるのか。

受信とは、何から何を受け取ることなのか。

送信とは何を何に送ることなのか。


アンサンブルとアンテナの共通点とはいったい何か。


今の時代、わからないことがあってもすぐ調べることができますよね。ですから「知らない」と言う言葉はもう通用しません。




時間をかけることを喜びに

「具体性がない」という言葉には怠慢さを感じます。

前述のように今の時代は調べてわからないことのほうが圧倒的に少ないので、何でも効率的、率先的なものを導くこと、ストレスのない便利さこそが優秀であり、それを求められる傾向にあります。

しかし、人間の奏でる演奏や、楽器などをコントロールすること、自分の感情を相手につたえるための表現など、音楽に限らずクリエイティブなもの、芸術と呼ばれるもののすべては、自分の中にあるイマジネーションをふんだんに働かせて、時間をかけて磨き上げ、より良いものを築いていくことを意欲的に、そして楽しめるような人間でないとできないことだと思います。こればかりは「ググれ」と言われても回答は得られません。ですから、


「教わった(情報を得た)」→「うまくなった」


これはあり得ません。実際にはこの間にとても長い時間があるのです。


「具体性なさすぎ」さんは匿名なのでどなたか存じませんが、まずは言葉を理解する行動を起こしてください。自分の今までの経験、イマジネーションを働かせる努力を惜しまないでください。仮説をたてて実験と研究を繰り返し、徹底的に追求してください。それでもなお、福見先生のおっしゃることがわからないのであればぜひレッスンを受けに行ってください。


それらの行動もせずにいきなり「具体性なさすぎ」と言ってしまうことがとても恥ずかしいことだということを理解してください。



「具体性なさすぎ」この言葉に強い衝撃を受けたのでブログ書いてみました。




荻原明(おぎわらあきら)


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