トロンボーン奏者で作編曲家の福見吉朗氏のツイートを拝借。
長三和音の第三音は低めに吹く。13.4セント。でもそれは理屈です。
— 福見吉朗 (@fukurou293) May 6, 2018
理屈で低く吹くのではなく、響きをよく聴いて心地良いところで吹く。きれいに合うところは、結果的に低めになっているということです。
また、同じ音の他パートを聴く。いつでも低くするとは限りません。
耳を使うことか大切。
福見氏の言葉はいつもストレートで説得力があり、非常に勉強になります。ありがとうございます。
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楽器の奏法について文字や言葉に起こすときには「裏をとる」必要があります。
なんだか刑事さんみたい。
指導者が裏をとらず受け売りを口にしたり、言葉の表現が抽象的・感覚的だったり、(裏をとっていたとしても省略して)結論だけを伝えると、指導者の本意が伝わらないことが多々あります。部活などでそれをやってしまうと、解釈がバラバラになり、間違った受け捉えをする人も出てきます。それが都市伝説のきっかけになることも。
例えば、吹奏楽部の奏者全員がチューナーを見て吹いている件。
吹奏楽部はいつからあんな光景になってしまったのでしょうか。
しかもチューナーばかりを見ている人ほど安定したピッチ(周波数)が出せていない傾向にあるし、ピッチコントロールに関しての正しい知識を持っていません。
あの光景はきっと、指導者が「ピッチずれてる!」と言ったことがきっかけでしょう。でも多くの指導者はその事実しか口にしない。ずれてることをずれてると認識したからずれてると伝えた(しかもその指導者もチューナーを見て判断していたりも)。しかも1回や2回じゃない、合奏のたびに言う。最初のチューニングで一億万回言う。日没。
そこで生徒は悟ります。
そこまでピッチピッチと言うのだからよほど大事なことに違いない。周波数が合わないとコンクールで金賞がもらえない。そうか!周波数が合うと怒られずにすむんだ!周波数が合う人になると上手な人になれるんだ!周波数は金賞なんだ!プロは周波数なんだ!金賞はプロなんだ!周波数万歳!周波数万歳!442がなんのことだかわからないけど周波数万歳!空気振動万歳!地球に生まれてよかった!
めでたしめでたし。
じゃないし。
問題なのはこのやりとりの中に解決方法がひとつも出てこないことです。
確かに周波数の安定は音楽を構成する要素のひとつとしては大切かもしれません。しかし周波数が安定していると言われるのは具体的にどんな状態なのか。どうすれば安定するのか。具体的で正しいコントロール方法は?
指導者とはこれらを具体的に解説し、正しく伝える人です。奏者に対してピッチが合ってないとクレームを言う人じゃありません。そんなの通りすがりの人だってできる。
指導者が指導者の立場を理解していない人が多い。説明する気がないのか説明できる知識や実力がないからなのかは人それぞれかと思いますが、そんな怠慢だから宗教法人チューナー教が生まれるのです。
チューナーという機器を安直に用いることも含め、音楽に数学的な整合性を求める傾向の人が一定数います。
結論から言うと、楽器を演奏すること、もっと大きく言えば音楽という存在は、数学的な発想が前面にきた時点でアウトです。
音楽に絶対的なものは存在しないからです。
そもそも人間はロボットのようにプログラミングされたものを寸分違わず何度も再現することができません。
【良い音を出すための口周辺の力のかけかた〜!】
『まず下唇口輪筋を左右で完全に50%に分けます。次にそれぞれがすべての中心点に向かって0.02264kgの負荷をかけ、そのときのマウスピースの唇に当たる圧迫は0.013589kgをキープ。そのときの口腔内の空気圧を25kPsであればmfとしての音量で442Hzの周波数を...』
そんなことできるかー!
(ちなみに上記の説明は完全にテキトーです。単位とか全然わかんないし)
すべては感覚なのです。その感覚は自分の中に存在する「心、イメージ」が先導します。
でも、こう思うかもしれません。僕が毎週毎週長々とトランペットについて書いているそれは一体何だ?と。方法論ばかり書いているじゃないか、と。
僕が書いているトランペットに関する奏法解説は、心、イメージが導き出した自分の中で「良い!」と思える方法を実現できるように後から文章化したものです。
最初から文字が存在していたのではありません。
あれは伝えるために文字化しただけであり、演奏をしているときにいちいち考えているわけではありません。
福見氏がTwitterでおっしゃっていた心地よい響き、いわゆる純正律の響きをを生み出すための(長三和音の場合)第三音を低くとるのも、結局「わあ!この響きキレイ!」って感じたそのハーモニーを数学的に検知した場合の具体的な数値です。
奏者がそんな細かい周波数をいちいち考えて出しているわけなど絶対にありませんし、そんなことをしていたら音楽になりません。
しかも、第三音を低く取るだけで素晴らしい音楽が生まれるか、と言えばそれも違います。
そういった数学的なごちゃごちゃしたことなんかより、「自分はその音色や響きや表現を用いて、聴く人へ何を伝えたいのか(伝えようとしているのか)」という強い心や意思が前面に出せているかが最も重要で、そのメッセージを的確に伝えるための手段のひとつが純正律の響きなのです。
ですから、強い心やイメージ、意思があれば自然と美しいハーモニーを求めようとするでしょうし、言い方が正しいかわかりませんが、別に純正律の響きがしなくても何かを伝えようとする意思が強ければそれだけでも成立するのが音楽であり、芸術だと思うのです。
小手先の技術と知識ばかりで中身がカラッポなかっこつけた演奏をするくらいなら、ちょっとくらい無骨でも強い心、イメージ、伝えたい意思をバンバン出している演奏のほうが聴く人の心に共鳴できるはずです。
何を優先するのか。
この発想を変えるだけで、毎日の練習がもっと楽しい時間になると思うのです。
チューナーの指し示す周波数の数値を見ていて、何か楽しいですか?そんなことするために楽器を演奏しているのですか?
荻原明(おぎわらあきら)
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