ホントのホントに演奏が上達したいのなら、まずはソルフェージュの訓練と好き嫌いなく沢山の芸術や芸能などの表現に触れたり体験することに時間を割くことだと思います。
— 荻原明(Ogiwara,AKIRA) (@ogiwara_a) June 16, 2019
地盤を強固にし、自分の向かう具体的な方向性を見つけること。
ソルフェージュ訓練をすることや、奏法理論を研究し、習得することも全部含めて楽しめるか。
— 荻原明(Ogiwara,AKIRA) (@ogiwara_a) June 16, 2019
興味や関心を持ち、意欲的に継続することが苦ではなく楽しいと思えるかが分かれ道になるのでは、と思います。
先日ちょっと思うことがあってツイートしたら、たくさんの方に「いいね」をいただきました。ありがとうございます。
これは僕自身が中学生の頃に感じていたことでもあります。当時ピアノを弾くのが大好きで、好きな曲を好きなだけ弾いていましたが、完全に独学でした。そのとき痛感したのが、「弾けるものと弾けないものがある」という点。
ようするに自分がまだ持っていないテクニカルなスキルをどうやって習得すれば良いのか、さらに問題だったのは、実際にそのスキルができるようになるとどんな演奏、指のうごきになるのか、という結果がわからないのです。
だからいつまで経ってもできないものはできない。
「音程感」も同じだと思います。短2度(半音)と長2度(全音)の音程感が声や心や頭の中で歌えることができなければ、特に管弦楽器は演奏できないし、ピアノだって音程感がなければ本当のところ演奏はできません。
音楽を理論的に理解し、そのスキルを高めること、そしてそれを音楽に昇華するために必要な様々な知識と経験。これが大切です。
自分がどんな演奏者になりたいのか。単に楽譜に書いてある情報を正確に演奏できるだけだったら、人間である必要もありません。したがって、そんな奏者は求められません。
「この人のこんな演奏が好き」と言ってもらえる何かが必要です。わかりやすくいえば「キャラの確立」。でもそのためには様々な表現者を見なければわかりません。まずは知ること。
よく言われることですが、部屋にこもってひとりで楽器の練習だけしていても上達しないのはこのためです。
コンサートはもちろんですが、オペラ、バレエ、ミュージカル、演劇、落語、絵画、フィギアスケート、書道、映画、アニメ、小説、マンガ、ドラマ...人間の「表現」をしている姿を見ることで自身の望む方向性が見えてきます。
ある意味この方向性がないまま練習をしても、同じ場所で足踏みをしてしまうので、あまり意味がありません。
プロアマ関係なく、演奏の上達を図るのであれば、音楽の基礎力の向上に時間を費やし、様々な表現者を見ることだと思います。可能であれば何か体験もできると楽しいかもしれません。
ひとつ補足しておくと、そこまで本気で上達するモチベーションはないけど、楽器から音を出しているだけで楽しい、自分の今のスキルで演奏できればそれで十分、という方はそれでも良いのです。演奏したい権利を奪うことは誰にもできません。ただし、「できないものはできない」そんな限界ラインが目の前にあることだけは理解しておきたいものです。苦しい思いをしたくないですからね。
いろんな楽しみ方があって良いのです。
荻原明(おぎわらあきら)
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